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毎日毎日楽しく子育てができるわけじゃない。少なくとも私はそうだ。

きっと保育士さんなんかに聞かれたら、いや、保育士でなくても、その辺の見ず知らずの人に聞かれたら、なんて酷い親!子どもがかわいそう!などと、人間としての親としての素質すら問われそうなことを娘に言ってしまう自分がいる。

ダメな親なのはわかっている。

昨日までしばらく輝ける見本のような関わりができているかも?と思っても、今日も同じとは限らない。

たまたま居合わせたお母さんやお父さんが、ものすごく子どものために明るく楽しく優しく対応したり、遊んであげていて、自分がたまたま落ち込む気持ちで子どもと外で、その姿を見た時。

もっともっと落ち込んで悲しく虚しくなって、娘と一緒にいることが惨めで、むしゃくしゃしたり、自分ってなんてダメなんだろう、なんであんな風に関わってやれないんだろう、そんな風に泣きたくなる。

そんな輝けるお母さんお父さんも昨日は育児で苦しんで泣いていたかもしれないのに、自分だって、毎日毎日こんな風にしか娘に関われない人間じゃないのに。

どんどんどんどん自分の心に穴を掘って、とことんダメな母親になっていってしまう。

私が育てないほうがいい、私と一緒にいれば娘の性格が歪むから、他の人に育ててもらったほうがきっと幸せだとか、そんなことを考えてしまう。

毎日ではないけど、未だにそんな風になってしまう日がある。

きっとこれからもそうなんじゃないかなと思う。

とにかく自信がない。

自信がないのに、周りがそんな私を責めるように聞こえる時、しっかりしろとか、そんなに怒ることでないと言う時、小さな子どもの気持ちをわかってないとさりげなく指摘されたように感じて、被害妄想みたいになる。

この赤ちゃんの頃からまとまった寝る時間も、外出も場所見知り人見知りでギャーギャー泣き止まず、自分以外に頼ることができなかった長年の状況を想像することもしないで、毎日この難しい育児に付き合って、自分を削りながらどれだけ正しい育児の対応ができるの?と思ってしまう。

逃げ出したくなる、いなくなりたくなる、そんなことを一度も思わないでできる育児がしたかった。そんな育児が存在するのか知らないが。

何度諭しても娘がしつこい時、邪魔ばかりして自分の仕事すらできない時、付き合っても付き合っても満足しない時、とにかく体も心も疲れきった時。

涙が自然と溢れてくる。
私の嫌な心をもっと流してくれたらいいのにと思う。

私がダメな親なのはわかる。

育児で大切にしていることだってあるけど、何かそれすら虚しくなる瞬間だってある。

育児って綺麗事じゃすまされない、そんな感情になるから、育児している人がどんなに他人から見て酷い対応をしていても、それはその人の悲鳴に聞こえる。

頑張ってきたから、頑張りすぎているから、ゆっくりリフレッシュする時間もない、頼れる人もいない、心も休まらない、共感してくれる人も見つからず、ストレス解消もできない、そういう私と同じように苦しい気持ちで過ごしている人かもしれないと思う。

子どもがきつい言葉をかけられているのは、そりゃ傍目から聞いたら良い感じはしない。それは私もそう。

子どももかわいそう。

だけど、その親もかわいそうだと思う。頑張っている、大変なんだよね、って思う。

こんな虚しさはないほうがいい。いつだって笑って優しいお母さんでいたい。

そもそもこんなこと気にしないで、ゲンコツひとつくらわせてコラー!とか言って子どもを外に追い出していた時代みたいに、なんかしがらみなく理論もなく、それが当たり前くらいに開き直れる性格が欲しかった。

だからといって虐待を擁護するわけじゃない。

わかっているけど虚しい日もある。それが育児、子育てなのか。

私と同じ、育児が辛いと同じように思うことのある人皆に、このしょっぱい涙が無駄じゃなかったって、優しく思える日がたくさんたくさん来ると良いなと思う。