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確かに花壇の花を荒らしたりすることは言語道断。

だけど、最近は花とか草とか、取ったらかわいそうとか、汚いとか言って、触らせてもらえないことも多いんじゃないか?

もっと子どもに自然のものを実感して欲しい。

昭和な私はそうやって育ったから、娘にも知ってほしい。

セミやトンボ、カエルを取ったり、川でカニを取ったり、
ヨモギを石ですりつぶして遊んだり、オシロイバナの種の中身の白い粉を出してみたり、
ツツジの蜜を吸ったり、シロツメクサの花の冠を作ったり、ヨウシュヤマブドウの実を潰した汁で絵を描いたり、
笹の舟を作って浮かばせたり、田んぼに浮かぶ水草を取ってきて成長を観察したり、
つくしやせりを摘んできてお料理したり、オナモミを毛糸のセーターにつけて遊んだり、オオバコで引っ張り合いして遊んだり、
ナズナでシャラシャラとした音を出したり、どんぐりや落ちている実を拾ったり、葉っぱをたくさんちぎって遊んだり、、。

何も大自然に繰り出さなくても、公園の雑草でも遊ぶこと、観察することはたくさんできる。

自然って面白い遊び方がたくさんある、それこそ無限大だ。

落ち葉と生きている葉っぱをちぎる感触も、葉っぱによって、かたさも感触も匂いも違う。

テレビゲームやDSもDVDも面白いけど、そういう自然の面白さみたいなのを知らないまま大人になるなんて実にもったいない。そう私は思うのだ。

バラの花びらを触ってみないとどんな感触かわからない。
人工香料しか知らない人はどんなにバラが澄んだ香りをするか知らない。

想像だけではダメだ、好きならばそれをよく調べて楽しむべきだ。

自然のものをいただいて私たちが大きくなったように、自然の中で遊ぶことは、人間としてとても自然なことだと私は思う。

摘んだらかわいそう、という気持ちもわかるが、小さいうちにたくさん自然の遊びをすることは、将来それを大切にする事へつながっていくと思うし、デジタルの世界だけで遊んで成長していくことより、ずっと人として健康的なことだと私は思う。

人間はよく知らないことには結構冷たいものだ。

だから興味があるときにたくさん自然と触れ合わせることが大事なのではないかと常常思っている。

子どもは大人よりまっすぐ感動したり、発見したり、不思議に思ったり出来るんだ。

人は自然に生かされている。大切に思う心は、見て遊んで知ってから芽生えるのだと私は思う。