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娘のこれまでの言葉を振り返って、私が印象に残っている言葉の発達のことを書きたいと思う。

今、3歳7ヶ月の娘、最近では、ママと言ったり、お母さん、と言ったりする。

パパのことも同様に、パパと言ったり、お父さんと言ったりする。その娘の言葉の発達について。

1歳半過ぎたら、もううるさかった、、。とにかく「あーあーあーあー」何かを指さしてずーっと「あー!あー!」に悩まされた。
静かにしてほしくてもわかってくれないし、とにかくおしゃべりしたいのか、名前を知りたいのか、渡してほしいのか、「あーあーあー」うるさかった。児童館に行っても、同じ年頃にこんなせっかちに「あーあー」言っている子は見当たらなかった。

1歳8ヶ月にはすごいのことを「ごい」、ママ好きのことを「ママーき」と言ったりしていた。
2歳前には2語文っぽくなっていって、そこから急激に言葉が増えていく。2歳の一番使った言葉はやはり「イヤ」だけど、、。

まず印象的なのは、2歳。
ぴったり2歳から吃りが始まった。「マママママ、ママ」みたいな感じで、初めは言葉の頭が繰り返しになり吃りが出た。とても心配した。
吃りについては、ひどくなったり、おさまったりを繰り返しながら、だんだん気にならなくなり、3歳3ヶ月くらいには治ったかな、と思えるようになり、今は治ったと言って良いくらいの感じなので、また別で書くつもり。

2歳、私は私のことをお母さんね、と言ったり、お母さんと言って?と頼んだり教えたりしたことは一度だってないのに、
なぜか2歳から3歳の最近まで、頑なにママではなく「お母さん」と言っていた。ママという言葉に吃りが出たからなのか、言いにくいから、言い換えたのか、はわからない。

私は自分のことを娘に話すときは今も昔も口ではママ、だ。娘はお母さんと言っているのに、自分のことはママと言っていた不思議な期間だった。
拘りはないので、ママでもお母さんでも、どちらでも良かったが。娘はお母さん呼びを自分で選択した。

2歳7ヶ月。娘が自分の意志で、自分のことを表現するのに、「ワタシガー、ワタシガー」と「ワタシ」と言うようになった。
それに今までのイヤイヤがかわいいと思えるくらいの反抗期が始まった。
ワタシと表現する小さな娘 は、それはそれは生意気でした。
それも、私から娘に、自分のことはワタシって言おうね、なんて教えたことは一切ない。周りの子は皆、自分の名前やあだ名で自分のことを呼んでいるのに。

むしろ私はいつまでもそういう幼児っぽいところがあれば良いのにって思っていたくらいだ。
なのに、これもまた娘の自分の意志で、自分のことを「ワタシ」と言う選択をした。

頑固に反抗されても、○名前○ね、とか言われたらかわいかったろうな、、。
娘が自分のことを自分の名前で言っていた時期はかなり短かったように思う。
お母さん、といい、ワタシ、といい、本当になんなんだ、教えもしないのに、、とずーっともやもやしていた。

3歳前くらいから、さらに、「ワタシはオトナ!」などと頑固に言うようになった。
たまに漏らしたりするくせに、大人と言い張るので、大概生意気で頭にきた。

ワタシガーワタシガーと、とにかく自分の思うようにしたい願望が強く(今もだが)、ちょっとしたことにも素直に従わず、頑固で指示が人一倍通りにくく、扱いにくく、生意気で、我が子ながらかわいくない!とイライラすることばかりだった。

優しく教えても無駄で、あまりに頑固に反抗するので、毎日のように怒鳴り、ぶつかる日々で、叫びのような泣き声を毎日何度も浴びせられていた。この頃パパ来ないで、なども始まり、自分はかなりノイローゼ気味になっていた。

1歳半の健診でも、発達心理相談を受けたが、3歳健診でももれなく個別相談した、、、。
だって、もし発達障害があるなら、といつも思っているし、夜泣きや偏食や、吃りや、色々なことがあり、さらに扱いにくいかなりの頑固者、この毎日のイライラやストレス、もしもがあれば早いほうが良いという思いから。
けど、結果は気質だから、発達障害ではないし、言葉もすごく発達が早く、問題ない、とのことだった。

だけどストレスはマックス。
言葉の発達が早いのは良いのだが、とにかくうるさいくらいおしゃべり。
2歳になっても3歳になっても、一人遊び?なにそれってくらい、かまっても長時間遊んでも、超絶かまってちゃんで、ずーっと喋りかけてきて、耳からもう休まらない、、5分で良いから黙ってくれ!と思うような子だった。

3歳5カ月くらいから、「私、子供だからまだ難しい」など、素直に自分を子供と表現するようになり、あの頑固に「ワタシはオトナ!」と言い続けたことが全くなくなった。
この変化が、反抗期からだいぶ扱いやすくなったと思えた時と重なる。その頃には吃りも全然なくなった。

ワタシガー症候群も今もあるが、だいぶ収まり、友達とも以前よりトラブルにならずに遊べるようになった。
説明すればかなり理解してくれるようになり、かんしゃくもなくなってきた。

そして私のこともママと言ったり、お母さんと言ったり、両方言うようになった。

娘の言葉についての印象的なことはこんな感じである。