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幼稚園での様子を担任の先生から聞いたりして、別に特別他の子供達より抜きん出ておかしいと指摘されたわけではないが。

年中になって年少の最後の頃には聞かなかった友達同士のトラブルをちょくちょく聞くようになって、気持ちが重たかった。

なんだろう、年少の頃の先生ははっきり言えば、ほとんど幼稚園での細かい娘個人のエピソードというのは教えないというか、話さない主義の先生だった。

もちろん娘から家で聞いて、後から先生に確認すると教えてくれた。

が、いちいち子供がありがちな取り合いやら、ちょっとしたトラブルなら、もしかしたら「敢えて」言わなかったのではないか、と今なら思える。

それが、先生の中で、年少の子供として「普通」であれば、先生から保護者に特別には伝えない。

初めこそ、幼稚園の様子がわからなくて、やきもきしたりもしたが、途中からはそれが当たり前になり、私も悩むことなく過ごしてきた。

年中の新しい担任の先生は、その日泣いたり、オモチャの取り合いなり、目に付いた部分があれば、その都度迎え等の時にお話してくれる先生だ。

特に娘は年中に入って、オモチャの貸し借り等でわがままを出して泣いたり、取り合いになったり、自分が嫌なことがあれば我慢がきかずにいちいち先生に言いに行くとか、あんまり良くないことを知ることになった。

なので、幼稚園から帰っても、娘に毎回ついきつく注意して、更に自分も落ち込んでいた。

オモチャのやりとりは入園前にだいぶ落ち着いていたと思っていたのに、また我慢ができずにいることを知って、かなりのショックを受けていた。

もう、3回くらいは友達とのやりとりのトラブルを聞いている。

娘だけが特別問題なわけじゃないと、個人面談で言われたけど、やっぱりもうそういうところはだいぶ落ち着いたと思っていただけに気落ちした。

そして、しばらくしてふと気付いた。

私、先生のその日の娘のエピソードと娘の話に気持ちが振り回されすぎ!と。

娘はおとなしくクラスの中でも皆に合わせてあげられるいわゆる良い子なタイプにはなれないから、きっとこれからも私にとってショックなことをたくさん教えてもらうだろう。

それは、年少の頃は先生がちょっとしたことがあっても言わないでいてくれたことで、不要な心配や娘への情けなさからの怒りをぶつけることがほとんどなかっただけで、きっと細かいところを見ればたくさんあったんだろう。

私もちょっと落ち着こう、先生が伝えてくれることは幼稚園の年中なりたての中でも子供同士のやりとりのほんのヒトコマなんだ。

悪かったことを考えさせること、反省させることも必要だけど、いちいち長く悩んで娘にイライラすることの方が悪影響だと。

親なんてやっぱり、トラブルなく楽しく過ごしていけています、なんの問題もないです!と言われた方がいいに決まっている。

だけど、子供はまだ手探りで人間関係を勉強していっているその時だ。

もちろんケガをさせたり、相手を深く傷つけたりしたらいけないと思う。

だけど、ちょっとした「先生や娘にとっては普通の日常のちょっとしたトラブル」で一喜一憂しすぎたら、その場をきちんと見られていなく、本当の事情なんかわからない私もただ辛いだけになってしまう。

だから、その都度あれば、娘の話を聞いて、叱るところがあれば叱って考えさせて、それでおしまいにしようと。気持ちを長引かせても毎日毎日きっと何かあるんだ。

そういう風に気付いた。

先生の話も、幼稚園での出来事をたくさん教えてくれることのメリット、知らないことのメリット、それぞれあるなと思った。

たくさん知ることになるからには、こちらも覚悟が必要だ。無防備に聞いていると私はつい過剰に反応してしまうから。

そして、やっぱり娘は年中になっての新しいオモチャにおそらく視覚的に反応してしまい、なかなか我慢ができないのだと察して、改めて発達障害の子の本を読み返した。

娘に対してどこかでできるはず、と期待をしていたんだな、と気付いた。