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無視しても大丈夫とか書くとダメだよ!って専門家に言われそうだが。

思い切って書いてしまおう。

私の子供はひとり。もうすぐ5歳の娘だけだ。

いつだったか、まだ娘が入園前に近所の公園に遊びに行った時のこと。

公園は混んでいた。

ブランコにも砂場にも滑り台にも子供がたくさんいた。

公園でよく見かける、お母さん達の談笑。

私にはその日知り合いもいなかったので、娘のブランコを押してやりながら、ぼーっとしいた。

娘は本当にかまってちゃんだ。おしゃべりだし、かまってかまってで本当に疲れてしまうことだってある。

というか、まだ入園前だったので、大半がそうだったと思う。

談笑しているお母さんの内のひとりはお子さんが3人位いるようだった。

ママー、ママーと駆け寄ったり離れたり。

3人子供がいても、お母さんは一人しかいない。

基本的に何かしたくても、呼んでも、大声でも何度もしつこく呼んでも来てくれない、ってことが当たり前にあるんだなって見ていて思ったんだ。

それは子供側から考えれば、無視になる。

だけど、考えてみればそりゃーそうだよね。お母さんはあちこちに忙しいし、お友達とお話もしたいし。

ブランコで、3歳?2歳くらいの女の子がずっとママー!押してよー!ママー!と言っているんだ。

あんまり叫ぶように呼んでいるので、私はしばらくしておせっかいかと思いながら、その子のそばに行っておばちゃんが押す?って聞いてみたら、いい、みたいな反応だったので、そっと見守ることにした。

結局、その子がママー!!ママー!!と呼び続けてもお母さんはお話に夢中だったり、下のお子さんの世話だったりで、全然来なかった。

きっと大泣きでもし始めたら、もしかしたら、来たかもしれない。

その内、その子は別に泣くわけでもなく、普通に自分で遊べそうな別のところに駆けて行った。

それがその子の、その家族の日常なんだろうと思う。

だって、お母さんの立場から考えたら、子供3人平等にずっと全員の要求を叶えるなんて無理だもの。

今は無理!って状態があるのを、呼んでも呼んでも応えてもらえない時があるのを、子供もわかっているんだ。

だからってその子は愛情不足でもないと思う。

その時思ったんだよね。

私の子はどうだろうって。

無理なことは無理!って3歳過ぎてからきっぱり言うことも、対応しないことも増えた。

それでも、そのママー!と呼び続けた子に比べたら、ずっとずっと構ってしまっている。一人だけの子供だもの。

それまでだって、何かもう本当に無理なのにしつこくしつこく何度も話しかけてくる時は、怒って、終いには無視するときもあったのだ。

それに対して私はずっと罪悪感を持っていた。娘にかわいそうなことをしているって。

子育てってなんて面倒くさいんだって。

だけど、そのお母さんはどうだったかって言うと、帰るときに別に怒るわけでもなく、普通に笑顔で子供達と一緒に公園を後にしていた。

そのお母さんが呼ばれていても行かなかったことについて、罪悪感があったのか、なかったのかわからない。

だけど、いっぱいいっぱいの時は別に罪悪感を感じる必要なんてないんだって思った。

「お母さんは今はもう無理」だと言っているのにしつこい時、ついつい苛立って、無視をしたことを、悪いことをしたと思ってしまう。

自分は一人しか子供がいないのに、出来の悪い母親だと自己嫌悪してしまう。

だけど、別に悪いことなんかじゃない。

それは構わなくてはならない!と必要以上に感じてしまうからこその罪悪感なんだと。

その無視(構えない)に関して、もっとあっけカランとしていいのだ、そう思った。

言っても言っても無視させるほどしつこい、それは本当に困ったものだ。

しつこさの性格もあるだろう、持って生まれたもの。

猫が同時に4匹生まれても、不思議と皆同じ性格じゃない。臆病なの、人懐こいの、いろいろな性格がある。(猫とは違う!となりそうだが、生命の性格の一つの例としてずっと考えていた)

娘は常に赤ちゃんの頃から構われっぱなしだった。

例えば極端な話で3人全員年子だったら、母親として全員常に構ってあげられることなんてない。

一人っ子だから常にずっと構って構っていなければいけないわけじゃない。

だから、私も罪悪感と自己嫌悪を必要以上に感じ続けるのをやめよう、そう思った。

それを、学ばせてもらった。気付けた。

感情だけの、わざとの、毎日の無視では発達に影響するだろう。

だけど、親として忙しくて大変な時「今は無理」と断った後の子供への無視についてであっても、私と同じような罪悪感を感じる方、ちょっと考え方を変えると楽になれるかもしれないと思った。

嫌になることだってやっぱりあるんだけど、常時愛情を放棄しているわけでなければ、ちょっとの無視は問題にならないと思った。