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叱ると子供の自己肯定感が下がる?

私はそれはなんの信頼関係もない場合なんじゃないかと思う。

叱るだけで自己肯定感が下がるような親子関係を作らない方がいい。

何が必要か考えてみた。

子供の自己肯定感を高めるために
叱っても自己肯定感を下げないために必要だと思うこと

叱ると子供の自己肯定感が下がるから、ひどいことをしていても本気で叱らない。

そんなことが日常の子供が大きくなったら、どうなるか想像してほしい。

脳がやわらかな時期を通り過ぎてしまったら、習慣にするのが大変だ。

ある程度の年齢なのにマナーや人の気持ちがわからなかったり、挨拶ができないと困るのは親じゃない。

子供本人がいつの間にか周りの関わる人達から、叱られたり、嫌われたりすることをわかるようになるだろう。自分の思うがままが許されないことに憤りを感じるようになるだろう。

そんな状態で大人になるまでに自己肯定感は育つだろうか?私は無理だと思う。

でも叱ってばかりの毎日では子供の自己肯定感は育たない。

ではどうしたら良いのか?

まず、小さなことでも褒めることの大事さ

良く褒めることが大切だと言われている。確かに私もそう思う。

何故なら、私自身が特に12歳くらいまで、頑張っても頑張っても褒められずに過ごした為に、能力の割には自己肯定感がものすごく低い人間に育ってしまったからだ。

親に認めてもらえないというのは、自己否定に繋がる

親にも褒めてもらえないのに、努力して頑張って何の意味がある?と将来まで悲観する。現実私がそうだったなので、褒めることの大切さは身に染みている。

どんな小さなことでも、自分の気持ちが大丈夫な時だけでも、どんどん褒めたら良いと思う。

褒めていけば、褒められることが嬉しくなる

きちんと叱って、きちんと褒める。これをしていけば、メリハリが生まれて人格形成としても良いと私は考える。

叱られたことがない子は、他人から本気で叱られた時に、受けとめることを拒否したり、叱られたことがショックで挫折しやすくなる、打たれ弱く伸びしろが少なくなることが懸念されているとも最近ではいわれているようだ。

そりゃ身内の親に真剣に叱られたことがないのに、他人に本気で叱られたとなれば、ショックは相当なものだろう。

悪いことをすれば叱られることもある、良いことをすれば褒められることもある、そのことを子供の頃から知っておくことも私は大事だと思う。

そして思うのは、褒めることは大事だけど、そんなに褒めることがない時ってあるよね?ってこと。

私は小さなことでも褒めるようにはしているけど、毎日毎日そんなに娘のことを褒められない。

実際、娘は5歳で軽度発達障害と診断されたけれど、2歳前から3歳半くらいまではもうイライラしてばかりで、褒めることなどほとんどできなかった。

そんな中でも娘の自己肯定感を損なわない為に気をつけていたことは、とにかく自分の気持ちが普通の時はせめて笑わせることだった。

もちろん無理な時もある、そんな時は笑わせることなど考えられない。無理する必要はない。だけど意識するだけでだいぶ違うと思う。

これは叱ってもへらへら笑ってしまうような緊張感がないタイプの子供には向かない。その場合は別のしつけ等が必要になると思うが、娘のタイプが違うので割愛する。

なぜ自己肯定感のために笑いが必要なのか

叱られると緊張する。只でさえ、うちの娘は赤ちゃん時代から敏感で緊張感が強かった。

外でもとにかく不安、緊張感が伝わってきた。世界に慣れるまで時間が必要な子供だった。

2歳くらいまでは、くすぐってもほとんど笑わないことが多かった。児童館で皆くすぐる遊びをした時も、かたい表情のままくすりとも笑わない子だった。その癖に頑固で親の指示が響きにくい子だった。

今は自閉症スペクトラムと診断されて納得もした。だけど、健常の子でも私は同じように笑いを意識したと思う。

きちんと叱ることは必要だと書いた。叱られると緊張する。

緊張感をゆるめるにはどうしたら良いか。

それは褒めるだけではダメだと思った。抱きしめることも、大好きだよと伝えることももちろん大事だと思うけれど。

一番は笑わせることだと思った。

笑うことは大人になれば、愛想笑いも自在にできるが、幼児の頃はそうはいかない。

心から笑うということは心がリラックスしている証拠
だ。

緊張感の強い子供には明らかにリラックスが欠けている。

叱る必要があればあるほど
、叱られることで気持ちは更に緊張する。

大人だって叱られている時にリラックスできる人はいないだろう。

叱られる時はきちんと叱られなければならない。そこに笑いは必要ない。

笑いが必要なのはそれ以外の日常だ。

笑わせてリラックスさせる、下らないことで笑いあうこと、それはお互いが安心していて信頼関係があるからこそできることだと思う。

褒めることも大事だが、究極は笑わせること、笑いあえる明るい関係をつくること。

ただ、褒めていればいい、褒めていれば安心だったか?娘には不十分だったと思う。

笑わせることは娘の明るさを引き出すことにもなった。笑いあうことは好きでないとできない。笑いあうことで娘に無言の愛は伝わる。

家庭の中が明るい冗談が言える雰囲気だと心が安心できる。

例え、今すぐ褒めることがなくても。笑わせること、笑いあえることは、褒めることとプラスすると強烈に自己肯定感を高めてくれると考える。

対人関係にも役立つ。いつも仏頂面の友達より、明るい笑顔がある人の方が一緒にいて楽しいと思う。

いつも怖くて叱ってばかりの先生より、下らないギャグを言う先生が好きだった。心が許せる感じがしたからだ。

真面目に生きることも大事だが、あまりに堅苦しいと生きることに疲れてしまう

笑う、それっていうことはとても高度な感情だ。笑いは自分を助けてくれる。

別にお笑い芸人ばりにバカなことをしなくてもいい。子供を笑顔にさせるようなことを意識すれば良いのだ。

人生にユーモアは必要だと思う。

くすぐっても笑わなかった小さかった頃の娘も、意識して繰り返していく内に、様々な工夫をする内に笑うようになってきた。

その内、ほとんど触ってもないのに、くすぐる仕草をしただけで大笑いするようになった。

言葉がわかるようになったら、娘に下らないことをたくさん言った。

初めはユーモアがわからずほとんどがキレて言い返してきていたが、最近はツッコミを入れながらも、母のユーモアがわかるようになってきた。

たまにわけのわからないギャグも自分で考えて言うようにまでなった。お友達同士でも、ちょっとしたテレビの面白い場面でもアハハと笑える子になった。

5歳で軽度アスペルガー自閉症スペクトラムと診断され空気を読みにくい特性があるのがわかったが、だいぶユーモアがわかるようになったことは、今後の娘の対人関係を朗らかなものにしてくれると思う。

何より私は笑う娘が大好きだから。

笑えることは幸せなことだ。笑うことは楽しい。

娘と散歩の時、何気ない時に目があって、にこりと笑いあう時、これまで散々イライラしたり叱るを通り越して怒ったりしてきたことも多々あったけれど、娘の自己肯定感は損なわれていないなと思える

褒めるだけではなく笑わせること、明るく楽しい雰囲気を家庭でつくることが、子供の自己肯定感を高めるために必要なのではないかと私なりに考えている。

笑わせるって一体どんな風に?って思う人もいると思う。

笑いが大事と書いておきながら、くそ真面目な文を書いている私なりの子供を笑わせてきたアイデアを次に書きたいと思う。

余談だが、このブログを始めてイライラしたり、鬱々したり、悩んだりしながらも【育児 笑った話】として、自分が子育てで面白く感じた部分を取り上げてきたのも同じ理由です。

笑えることで自分が救われてきたからです。これからも大事にしていきたいと思っています。