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コラ!なんばしよっと!

って言う言葉が代名詞になったお母様だって、もともとはそんな肝っ玉母ちゃん気質じゃなかったかもしれない。

子供がいる生活って、育児って、子育てってどんな風?って聞かれたら、私は無様を晒すことだと答えたいと思っていた。

無様を晒すってどんな風に?って思うだろうけど、今たったの一人の子供を育てて思う。

私、性格がだいぶ変わったって。

変わらざるを得なかったというか。

出産前のように着たい服は限られる、汚される、夜泣きや授乳で眠れていなければ自分の身支度どころではない。

人前でいつもキレイにしているのが当たり前だった人も、人が変わったように何もできなくなる場合だってある。

子育てする前に拘りがあればあっただけ、無様と感じる。

したいのにできない日々。

自分のためより子供の日々。

毎日必死で過ぎて育児育児の日々。

それは素晴らしいことだし、当たり前なんだけど、思う。

覚悟がないなら産むな!という言葉や、子供が子供を産んだとか、色々言われたりするけど。

実際経験してみると想像以上に我慢の日々。想像以上ってやっぱり経験しなくちゃわからないんだよね。

少し子供が大きくなってくると、人前で叱らなければならない場面だって出てくる。

子供や親の性格にもよるけれど、公園から帰れなくて怒りが吹き出す日もある。

それが例え多くの人が見ていようと、どうにもならないくらい頭にきたりする日もあるんだ。

どんなに出産前人前で感情を露にしたことがない人でも、子供の性格によっては情けないくらい感情を出すような日々。

あまりに無様だと思う日々。

だって、大人なら誰だって大人げないと思う感情を人前で晒すんだよ。

本当はこんな風になりたい訳じゃない、こんな風にいたいわけじゃない。

絵本の中で見た優しくてあたたかいお母さんでいたいのに。

恥ずかしさと不甲斐なさと情けなさと。

気にすれば気にするほど、自分のことを無様だと思う。

あんなに頭にくるなんて、自分を埋めてしまいたいくらい後から恥ずかしくなる。

そんな感情の連続。

コラ!なんばしよっとね!

お母さんのイメージって色々ある。

肝っ玉母ちゃんになりたくてなった人ばかりじゃないと思う。

今の私はまだ無様を晒しまくっているけど、母になれたことには本当に感謝している。

私の子でいてくれることに感謝している。

グラフにするなら喜怒哀楽の感情が全部全開になって、だからこそ大変で疲れるけれど。

この間、赤ちゃんを前向き抱っこして歩くお母さんとすれ違った。

おそらく眠れていないんだろう、自分に構う時間もないんだろう。

ボサボサの髪をひっつめて、お化粧っけのない顔で、ただ前を向いて歩く姿。

抱っこ紐の中の赤ちゃんは手を動かしながら広がる世界を楽しそうに見ている。

その姿を見た時、かつての私がよみがえった。

勝手に目頭が熱くなった。

お化粧して好きな服を着て歩いていた時や、いつも人前で温和でいた時とは違う、

あの頃は客観的に自分を見ることもできないくらい疲れていたけど、最高に頑張っていて、最高に輝いていたんだなって、あのお母さんを見て思った。

私にはそう見えた。

あの時、自分はどこか気恥ずかしさをもっていた。昔に比べたら無様だと思っていた。

とんでもなかった。

経験したからわかる大変さ。

生まれたばかりのやわらかな存在を命懸けで守る母の姿。

すごく美しく見えた。

綺麗事ばかりじゃないけど、こんなに自分を捨てて大事なものって今までなかった。

あの時のお母さんが、かつての私が、胸に抱いていたものは間違いなく宝物だ。無様な姿をただ晒していたんじゃない。

感じ方が変われば、見方も変わるね。

身なりも整えないでとか、人前で感情を露にしてとか、みっともないと思うのかどうか。

この毎日は今だって輝く大事な宝物だ。かけがえのない宝物だ。

胸を張って無様を晒そう。誇りを持っていくらでも悩もう。そんな日があっても自分を許そう。

どんな日々だって輝いている!そう思う。

コラ!なんばしよっとね!元気ださんね!と自分にエールを送ることにする。