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Rの法則をたまたま観ていた時、学生がミーヤキャットを調教していた。そのミーヤキャットとショーに出るためだ。

だが、その学生さんは調教がうまくいかなくて悩んでいた。

解説によると、その原因はエサのやり過ぎ。

性格の優しさ故か、芸ができる前にメリハリなくちょこちょこエサを与えてしまい、お腹がいっぱいになったミーヤキャットは言うことを聞いてくれない、ということらしい。

その原因に気がつかず、何が悪いのだろう?と真面目で優しそうな学生が泣きながら悩みアドバイスを求めていた。

私的にはなんだか子供のしつけに悩む母の気持ちと重なって見えてしまった。

結果を話せば、そのミーヤキャットに芸を教えていく以外の時間にも積極的に様子を見に行ったり愛情をかけて関わって信頼関係を作り、褒美のエサは与えすぎないようにして、ある程度芸をしこむことができるようになっていた。

その間、他の動物の死や赤ちゃんの出産も経験して、学生は素晴らしく成長していた。

命を預かる仕事なんだと意識もできるようになっていた。

人間と動物を一緒にするなんてと思われるかもしれないが、私は一連の内容が子供のしつけにも大事なことだなと思った。

動物の調教と赤ちゃんからの育児、そのしつけ。

人間と生活する犬だって同じだ。しつけをされていない犬は危険だし、社会に出すにはマナーもある。

正直、一生道もないような無人島で誰とも関わらず一人で自給自足で生活するならしつけなんていらないと思う。

生まれたての本能のままでも何の問題もない。

だけど人間同士で関わり、様々な社会のルールの中で生活していくならば、子供にはしつけは必要なことだ。

子供のしつけと動物の調教。

この時観たテレビから感じたのは大事なのは信頼関係があるかどうか。

動物と人間、子供と母親。

飴と鞭のバランス。

飴ばかりではダメだし、鞭ばかりではストレスがかかり、いつか噛みつかれるだろう。

飴といっても、常に子供に褒美のお菓子をあげたりとか物を買い与えるとかそういうことじゃなくて、抱っこや言葉でできたことを褒めていくこと。励ましていくこと。精神的な支え、安心感。

鞭といっても暴力的なことではなく、ダメなことはきっぱりダメだと教えるということ。

あなたをきちんと見守っているよ、言葉が話せなくても体の調子や気持ち、毎日の様子から察してわかっているよ。

大好きなんだよ、私が守るよ、いつも一緒だよという気持ちが伝わっていることが前提で。

何も利口な動物じゃなくてもどんな動物にだって心はあるし、心は通い合うんだ、信頼関係は築けるんだということ。

それはまだ言葉が話せない赤ちゃんからの人間のしつけと同じじゃないかって。

厳し過ぎればいつかは親子でも関係は崩れるし、子供は受けたストレスから歪んでいき自身も苦しむだろう。

でも間違った優しさから何でも子供の言いなりになり許し与え続けても、命を守ることや社会での適応に支障が出る。

ただ優しく優しくではなんのしつけにも子供のためにもならない。

むしろしつける側が叱るべき時に変にぶれたり迷ったら、相手に伝わって不安にさせるんだというのもわかった。

親になるということは毅然とした態度も時には必要ということ。

母親として、その鞭の厳しさについては自分自身で戸惑うことも嫌悪することもあるけど、必要なことなら限度を超えなければ自信を持って大丈夫なんだと。

信頼関係がきちんとある上で愛情が子供に伝わっていれば大丈夫なんだとそんな風に感じた。

この記事は動物という存在をどう思っているかで感じ方が変わってくるかもしれない。一緒にするなと思う人もいるかもしれない。

動物と人間についても色々思う所があるけど、脱線しすぎて育児とは関係なくなると思うので書かない。

何にしても愛情があることが一番ではないか。それをきちんと伝えられているか、母として反省しながらこれからも意識していきたいと思う。