常位胎盤早期剥離で死産(4)命の恩人I先生と看護師さん達との出逢い
死産に関する記事ですので、苦手な方は読まないでください。
この記事は
「常位胎盤早期剥離で死産(1)」、
「常位胎盤早期剥離で死産(2)」
「常位胎盤早期剥離で死産(3)」からの続きになります。
自分がなんでこんなことになっているのか、頭を整理できなかった。
考えでどうにかならないこともある。頭の中に思いがたくさん積もってぐるぐる回っている。
常位胎盤早期剥離で死産(4)命の恩人I先生と看護師さん達との出逢い
天井を見つめる。ひたすら見つめる。息子と対面できたこと。その横顔。
外の景色も窓もないNICUの部屋。
恵まれていたんだろう、入院ということをしたことがなかった私が一番最初に来たのが集中治療室だなんて。
看護師さんが出入りするカーテンの向こうはどうなっているのだろう。
時折男性?と思えるいびきが聞こえてくる。
今何時なんだろう。私はどうなるんだろう。
なんでこんなことになったんだろう。私の何がいけなくてこうなったんだろう。
ほとんど一睡もできないまま、多分朝になった。
カーテンがふっと開き、坊主に近い髪型の瓶底メガネをつけた男性医師が入ってきた。
私の足元の方に立ち、確か(体調は)どうですか?と声をかけてくれたような気がした。
その人が私の命を救ってくれたI先生だった。
私はなんて答えたんだろう?覚えていない。
お礼を言ったような、どうだったか。
そして、私のこの状況について一体なんでこうなったのか、妊娠中の私の何かが悪かったのかというような質問をいくつかしたと思う。
私も目が悪く、その時はコンタクトもメガネもつけていなかったので、先生の顔ははっきりとは見えなかったけど、物腰は優しくかつ頼りがいのありそうな、とても信頼できる医師だと思えた。
今でも先生のことを思い出す。本当に心からっていう言葉以上の言葉があるなら使いたいくらい、どんな言葉でも足りないくらい感謝している。
私の何かが悪かったわけじゃない、常位胎盤早期剥離と言って、前触れもなく突然起こるもの、私は悪くない、赤ちゃんを調べたが特に問題もなかった、通常分娩等でたまに胎盤が先に剥がれてしまう人も希にいるが、私のようなケースはほとんどない、血が止まらなくて手術に時間がかかったこと等。
その時に聞いたのか、その後に聞いたのかはっきりしないけど色々教えてもらった。
聞けば、私は不幸中の幸いだったようだ。
その大学病院に救急車がついたのは夕方5時半くらい?、麻酔医の方達も先生もその時間ぎりぎり残っていたのですぐに緊急手術の対応ができたと、しかも次の日は祝日で病院にいる人数も減ってしまうので、その日のその時間をあと少し5分でも過ぎれば、私が出血多量だったのを含めて命があったかわからないとのことだった。
だいたい出血がひどすぎたらしい。お腹の中で既に出血していて、手術でも血が止まらず、3リットルくらいは出血していたとのこと。妊娠中で血液量が多かったとはいえ、致死量だ。
いびきをかいていたのは多分先生だったんだ。私のことを救ってくれて、家に帰らずそのまま寝ていらしたんだなと思った。
看護師さん達にも「よく生きていたよ」って言われた。でもまだ皆どこか不安そうな顔に見えた。
ベッドの上に左右ぶら下げてあるすごい数の透明バッグ、その管が私の両手に繋がっていて、あれが今の自分の命を繋ぐ輸血とか栄養なんだなって思った。
カーテンで仕切られた向こうが騒がしくなってくる、本格的に始動し始めたんだなと感じた。
ふと声が聞こえた、ぼそぼそという聞き取れない声の後に多分Tさんという看護師さんの声。「すっごくいい人だよ」
瞬間、恥ずかしながら自分のことだと思った。
そしてその言葉の背景に、こうして私のように死産等で悲しい思いをした患者さんが看護師さん達に気持ちを当てたりすることも中にはあるのだろうなと思った。
すごい職業だと思う。人の生き死にを間近に感じている仕事。
出産という生、そして、生まれるはずだった命の死。
夜が明けて朝になり、酸素マスクは必要なくなった。
麻酔の効いた体というのは不思議だ。なんとも表現しようのない感じだった。
おそらく昼前くらい、また夫や家族が見舞いに来てくれた。
遠くから父や妹も来てくれた。
両手の輸血、心電図、足のプシューという空気を入れる器具、全身繋がれた私を見て皆びっくりしていたし、どう声をかけて良いのか悲しんでいたのがわかった。
妹が写真を撮ってくれたのだけど、後からその時の自分の顔を見てびっくりしたのを覚えている。
死相が出ているっていうのはこういうことかと思うくらい、顔色が悪かった。
その日の午後だったか、先生がまだ安心はできないが峠を越したと教えてくれたような気がする。心電図は外すことができた。家族はホッとしていた。
私は息子を家族にも見せたかった。
初めて連れてきてくれた時の看護師さんに、言ってくれればいつでも連れてくることができますと教えていただいたので、お願いした。
家族は息子を見て、なんとも言えないような顔をしていた。私は笑顔だったと思う。
何回でも会いたかった。生きてはいないけど、息子が誇らしかったから。
どんな顔をしているのか皆に見せたかったから。
笑顔で息子のことをこんなに立派に眉毛もあって、綺麗な顔しているよねって話す私を家族はどんな気持ちで見守っていただろう。
私の嬉しさとは裏腹に言葉は少なかった。今ならその意味が少しわかる。
夕方には皆帰っていった。
看護師さんが携帯を使っても大丈夫ですよと教えてくれた。
てっきりダメだと思っていたのだが、有り難く使わせてもらった。
その夜、私は体調がおかしくなった。息ができない。苦しい。
自分の死を覚悟して夫にメールを送った。
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