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もしも発達障害だったとしても、愛しいことには変わりはないから。

昨日今日はまた気を取り直して、娘とも仲良く過ごせた。

かわいい気持ち、優しい気持ちをたくさん与えれば、ちゃんと応えてくれる子だ。

私がここでへこたれて卑屈になってはいけないのだ。

そんなに毎日上等で高尚な自分ではいられない。

それを不甲斐なく認めた上で、まあ仕方ないことは仕方ない、まあ良いじゃないか、と思う。

どうやら調べれば調べるほど、娘は育てにくい大変なタイプの気質なのか、発達障害なのか相性なのかはわからないが、発達相談では三歳くらいには良くあること、問題はない、とは言われても、それこそいきなり育てやすくはならないし、気長に付き合うしかないのだ。

でも、もし、幼稚園で生活に支障が出るなら、先生にも相談しつつ、すぐさま専門家に診てもらうつもりだ。

疑いたくはない、けど、親として娘を想うからこそ、愛しているからこそ、もし発達障害ならば、早く療育などうけて、せめて少しでも生きやすくしてやりたい。その想いだけだ。

だから、昔から周りは皆、保育士も心理士も大変なところはあるけど、違うと言われたけど、気になる時はいつも自分からはっきり、「発達障害と思われるところはないか、そういうところがわかれば、早めに療育等うけさせてやりたいので教えて欲しい」、と伝える。
それは娘を想えばこそであり、私の選択ひとつで、娘の人生が変わる、それくらい思っているからだ。

かけがえのない娘だから、どうにか毎日を、かわいい言葉や丁寧な姿勢や感謝の気持ちや、そういうかわいい部分を私から娘にたくさんあげれば、娘もそれを受けとめて、かわいい言葉をかけてくれるようになる。そう信じて、自分もダメな時があるのは認めつつ、どうせ私なんて、、と子育てをずっと投げてしまわないこと。
それが大事なんじゃないかと思っている。

三歳半くらいからはそれまでの大変さと比べたら、だいぶ物分かりも良くなったんだ。だから、ちょっと歯車がお互いうまくいかない日があっても、何度でも立ち上がるつもりだ。

人より時間がかかっても、あの反抗期をやり過ごしたように、それを励みにしながら毎日を過ごしていくしかない、そう思っている。

ダメな時もここで気持ちをさらけ出しつつ。自分なりに模索しつつ、工夫しつつ。



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