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ホロスコープ出生図の六芒星に気付き開眼した理由とこれから

おかしいことを書き始めたと思う人もいるかもしれない。

だから全く興味のない人はスルーしてくださいね。

ただの育児に苦しんだり悲しんだり喜んだり気付いたり笑ったりするブログを書いている母だった私が、何故こんなことを書き始めたのか、その理由があるので書いてみたい。

とにかく今、急がないといけない、このままゆっくりしていてはいけない気持ちになっていて、死産の方のまとめを完結できないままこれを書くことになってしまう。

私は今まで自分勝手に生きてきたと思うし、色々親についても書くけど、親は一般常識的な人で、ずれているのは私の方だと思う。

そんな私のことを今までも何か好きなこと目指したことに関しては、文句も一切言わずに応援してくれていて、そういうところは母や父から大いに学び感謝している。

常識的な両親から生まれたのに、自分勝手に世間からはみ出して生きてきた私という人間。

超優等生から一匹狼の不良から、職業も色々経験してきた。

中でも自分の満たされない感情は芸術方面に発散することで若い頃は生きてきた。

その中では周りの人や幸運に恵まれて、貴重な経験もしてきた。

それも結局自分のためにやってきたことで、人のためというのはおこがましいことだとずっと思ってきたから、あくまでも自分の世界に生きてきた。

正直、まさか自分がホロスコープを読む勉強をするとは思ってもみなかった。

運命っていうものなんてないと思っていたし、そういうのが一番嫌いな人間だったかもしれない。

そんな私に気が付かせるための伏線だったのではないかと思うことがいくつかある。

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今こんな気持ちになっている理由。

一つ目の伏線は、若い頃のホロスコープ鑑定。

まだ若くて自分の芸を目指していた時に仕事の関係で、たまたま本格的な占いの館みたいなところでホロスコープで占ってもらったこと。

ものすごく唸られ、滅多にいないホロスコープだと強調して言われたこと。

その時はあまり興味がなくて自分の出生図の何がそんなに珍しくて、それになんの意味があるのかよく伝わってこなくて、特にそれ以上何も感じなかった。

その占い師の男性の私を見る目と雰囲気をすごく肌で憶えていた。

二つ目の伏線は、死産とアヴェ・マリアを聞いたこと。

ブログにも書いてきているけど、原因不明の病で、順調だった息子が死んで自分が生きて、あの時人生がいきなり変わってしまった。

一番苦しかった、非日常の入院生活が終わって、車で家に帰ってきた日。

なんで私はひとりで帰ってきたんだろう、息子はここにいないのに、自分だけでなんでここにいるんだろうって、出産前の準備がされた部屋に帰ってきたあの時が一番苦しく、体中が悲しみにくれて、悔しくて苦しくて窓辺で大泣きしていた時のこと。

頭の中が白い光のようなものに包まれ、なぜか「アヴェ・マリア」が流れてきたんだ。ものすごく悲しいのにだよ。それまで愛聴していたわけでもないのに、全く意味がわからなかった。

なんでこんな時にこんな曲が頭に流れて止まらないのか、泣きながら混乱して怒りすら感じた。

数か月、顔も変形するくらい泣いて過ごしたけど、その時のアヴェ・マリアへの疑問、違和感がずっと残っていて忘れられなかった。聞いたのはあの時だけ。

生まれてこない命があること、母親の気持ち、産みたくても産めない女性がいること、死産していながらも病院にいる赤ちゃんの泣き声が素晴らしい贈り物に感じたこと、生きていることに感謝しなくてはならないこと、今すれ違う人の中にも苦しい思いを隠して生きている人がいること、人の思いやり、心からどん底の時のものの感じ方、気持ちの受け取り方等々、死産の経験からはたくさんのことを学んだ。

妬みみたいな気持ちは、虐待する親に対して、その時は多少あった。

なぜ待ち望んでいた自分には生きている子供がいないのだと、そんな気持ちになった。その思いも娘が生まれたことで色々感じて変わった部分もある。

もともと自分のこともあって子供に苦手意識があったし、子供がいてもいなくても人としての優劣なんてないという考えだったのだけど、それは今でも変わっていないけど、その後死産があったからこそだったと思うけど、純粋に子供を産みたいっていう気持ちができたこと。

三つ目の伏線は、出産。

娘を授かった喜びと、それを守らなければ死と隣り合わせという不安。
息子の死があったから、不安になりやすかった。実際に赤ちゃんを育ててみて経験してわかることがたくさんあった。

四つ目の伏線は、このブログを書き始めたこと。

自分の思いや経験を赤裸々に書くことが自分のためになったし、苦しんでいたり困っている方に声をかけることができたり、逆に私も助けられたりしたこと。

五つ目の伏線は、発達障害を知ったこと。

そこに行きつくまでの苦しみはここに書いた通りだけど、娘のことだけど、自分のことにも気が付けたこと、そこから「普通」についてよく考えたし、家族や先祖とか、広く言えば人間というもののルーツまで考えさせられたこと。

その精神的苦しみの中でこのままではいけない、自分が変わらなければならない、でもどうしたら?、なんで自分はこんなに苦しいんだろうと思ったことが、若い頃のホロスコープ鑑定のことをふっと思い出すきっかけになった。

あの時言われたことは何だったんだろう?と思って調べたら、自分の出生図には六芒星があった。

その形を初めて見た時、これか、と思ったのと、ホロスコープの中の天王星頂点のヨード(神の手)が刺さっている場所が健康や労働の部屋で、更に日付まで死産の日と同じだったことを解読していて気が付いた時には鳥肌がたった。

私の運命は仕組まれたものだったのか?!と心に汗をかいた。

そして死産後地獄の苦しみの中で聞いた、ずっと忘れられなかったアヴェ・マリアの意味を調べたら、ラテン語での直訳は「こんにちは、マリア」「おめでとう、マリア」という意味らしい。

(私は幼稚園の頃、両親の仕事の都合で引っ越し先で受け入れてくれた幼稚園がキリスト教系だったため、普通の仏教徒たったけれど、礼拝や祈りについてはそちらにも実は馴染みがあった。宗教に関しては若い頃からずっと個人的に思ってきたことがあったのだけど、そのことはまだ置いておく)

死ぬような思いをして悲しい思いをしておめでとう、そして巡り巡って気が付いた六芒星。

繋がりはよくわからない。でも、自分の中でなんだこれは!というようなインパクトがあった。

あの時のアヴェ・マリアは私に課せられた大きなミッションをクリアしたというメッセージだったのでは?と電気が走ったようになって、出生図を調べなくてはいけないような、そんな気がした。少し気持ちが悪くなってそわそわして焦っていた。

六芒星を意識して初めて私を鑑定してくれた人は優しかった、奉仕が適職だと言われた。

自分勝手に生きてきた私が奉仕、若い頃を考えると信じられないのだけど、確かに心のどこかで人の役に立ちたいと思う気持ちが出てきていた。歳のせいもあるのだろうけどね。

それから占星術を勉強し始めた。自分のことについて星から客観的に知ることができると、一つの視点からでは満足できなくなって(自分がお客様の気持ちになってみたかったのもある、あと多角的に見ようとするところはいかにも六芒星持ちっぽいと思う)、東洋の四柱推命の占い師の方にそれぞれ別で(流派が色々あるみたいで)2名占ってもらった。

東洋でも特殊な生まれらしかった。格をつける流派では極身旺(身強)の従旺格だそうで、火の五行がものすごく強く、人を癒すパワーがすごいとのことだった。(その分バランスが悪いので苦悩もある)

自分でホロスコープから宿命も出してみたけど、どうやら様々なことを「受け入れること」と、「人の心に入り込んで心理的サポートをすること」、癒しが宿命のようだったので、結果は似ていると思った。

それを踏まえて自分のことを思い返してみると、確かに私には二面性があってそれにはホロスコープにも葛藤として表れているのだけど、一面にはつい困っている人に自分の意識を分けてしまうところや、人の気持ちを明るくさせたり、安心させる部分を持っているのかもしれないと、今まで言われたことのある言葉で感じた。

私がくると「パアッと空気が明るくなる」と昔一緒に仕事をしていたかわいい後輩が言ってくれたことがあるんだけど、四柱推命でも私は火(灯す火)で、ホロスコープでも朝日、日の出の生まれなので、そういう感覚を持ってもらえていたこともあながち偶然ではない気がしている。

無料鑑定をさせていただいた時、いただいた感想にはカウンセリングを受けているようだったという有難いお言葉をいただいたりして、その方々の心に少しでも自分なりに寄り添えたことが嬉しかった

ここに新しい喜びがあるのかもしれないと感じた。

苦しんで色々あってここまで来て、様々な伏線から「役目に気が付け」と言われている気がした。

もちろん娘を育てていくことも大事な役目なのだけど、私は色々感覚が鋭いので、発散させないと娘に重さがのしかかってしまう。

もう7歳まで一緒に過ごしてベースの部分は心配ないと感じている。

少しでも誰かの役に立てる新たな仕事ができるならば、それは娘のためにもなり、良い影響を与えると思っている。

自分のためだけでなく、人のためになることをしろという知らせを受け取ったような、そんな気持ちでいる。

私の持っている感覚を活かすこと、誰かの心の支えになること。

そんなことが私のこれからの役目なんじゃないかって、ここまで生きてきてやっと全て繋がったのかもしれないと感じた。

まだ漠然としているけど、私の感覚で読むホロスコープ鑑定と、カウンセリングのような心のサポートのことを少しずつ始められたらいいなと思っている。

最後に自分のホロスコープをのせておきます。

見る人が見たら私のことが色々わかってしまうのは承知の上です。でも嘘じゃないので敢えて隠しません。

青の線を見ていただくと月をてっぺんに六芒星、グランドセクスタイルになっているのがわかるかと思います。

rokubousei20180905

長々と書いてしまった。読んでくれた人がいたら感謝です。ありがとう。



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8 Responses to “ホロスコープ出生図の六芒星に気付き開眼した理由とこれから”

  1. きいろ より:

    はじめまして。
    私は、小学2年生、1年生、3歳
    の姉妹の母です。
    今回のホロスコープの記事にとても興味があります。
    次女を出産後、家を継いでくれる男の子をとても望んでいて、希望通りに男の子を妊娠することができましたが。
    妊娠20週の時に胎児に異常がみつかり、医師からはこのまま無事に出産まで行ける可能性は20%無事に産まれてきても自力では動く事ができないだろうと言われ頭の中が真っ白になりました。そして、そのまま妊娠を継続するのか中絶するのか選択しなければなりませんでしたが、私は自分の事ばかり考えて妊娠の継続を選択できました。
    上の子たちを帝王切開で出産していたのでその子も人工死産の手術をしました。
    取り出されたばかりの子を腕に抱いて申し訳ない気持ちでした。「私たちを選んでくれた子の命を私が途中で奪った」事実はとても苦しかったですが、私には悲しむ資格すらないなと思って一生苦しむ事を自分に課していたつもりですが、5年経った今は悲しみを感じることは少なくなってしまい薄情だなと感じています。
    あの子が来てくれた事にどんな意味があったのかすごく気になります。
    こんなコメントを残してごめんなさい。周りの人には本当の事が言えてないので、ここに吐き出させてもらいました。

    • キュツ母 より:

      >きいろさん
      はじめまして。
      苦しいことを私に打ち明けてくれてありがとうございます。

      ホロスコープ鑑定は今後有料でお引き受けしていこうかなと思っていますが、まだそういった記事が書けていません。ごめんなさい。
      近々になると思いますので、もしご縁がありましたら、その時ご依頼いただければ私から見て感じることをお伝えできると思います。

      このコメントだけでも私には十分伝わってきます。
      お家のこともあり、きいろさんはとても苦しい思いをされましたね。

      >「私たちを選んでくれた子の命を私が途中で奪った」事実はとても苦しかったですが、私には悲しむ資格すらないなと思って一生苦しむ事を自分に課していたつもりですが、5年経った今は悲しみを感じることは少なくなってしまい薄情だなと感じています。

      まず一つ、きいろさんご自身が命を途中で奪ったのではないこと。これは仕方のなかったことです。きいろさんの思いから死産したわけではないので、とても苦しかったと思いますが、自分を責めてはいけないです。

      もう一つ、悲しみを感じることが少なくなってきたことを薄情だと感じているようですが、とんでもないです。
      きいろさんはこの子のことを忘れていないです。ずっと心のどこかで一緒に生きてきました。もっと楽になってもいいくらいです。私も息子への思いがずっとありますので、自分に向けても書きますが、、。こうして私の記事を読んでもその時の気持ちを思い出している。
      それだけこの子への愛情があると感じます。
      人間は苦しみ辛い出来事があった時、生きるために模索します。色々考えます。自分の何が悪かったかとか、自分のせいなのではないかとか。でもそのままでは「生きて」いけません。
      大事なのは今を生きる繰り返しです。その中で永遠に感情が心が精神が止まっていることは「生きている」中ではあり得ないことです。変化して学んでいくことこそ人生です。
      こうしてその子のことを想ったり祈ったりしていることは十分愛を届けている行為です。

      息子さんが来てくれたことにどんな意味があったのか、これについてはもしかしたらホロスコープ上には何かあるかもしれないけど、ないかもしれない。

      意味があったとすれば、きいろさんは生命について深く考える機会をもらったことがその意味だと思います。
      私もそうですが、命ということ、生きていることの大切さを、何もなかった時より学んでいると思うのです。それを感じられたこと(実際感じている)ことが意味です。そのお子さんも何か意味があってそうなったわけではないのです。苦しみのほうに意味を見出さないようにしたいです。
      たまに気が付いた時祈るくらいで良いのです。きいろさんの苦しみを願っているものはいないです。
      死産したからといって、重い苦しみを背負っていくというのはあまりにも酷です。どんな苦しみも、です。
      生きていて気持ちが変化していくことは決して悪くない、むしろ学びが必要なので「あるべき姿」です。

      きいろさんは薄情ではないし、周りの人のことを考える優しい人です。
      苦しい想いを吐き出すことは必要ですよね。なかなか日常言えないですよね、私に話してくれてありがとうございます。息子さんのこと、私も今お祈りしましたよ。
      幸せを見つけていきましょうね。大丈夫です。
      コメントありがとうございます。

      • きいろ より:

        ご返信ありがとうございました。
        読ませていただいて、
        涙が止まりませんでした。
        「私の苦しみを願うものはいない」の一文が本当に心に沁みました。このままでもいいのだなと安心しました。
        ありがとうございました!

        • キュツ母 より:

          >きいろさん
          再びありがとうございます。
          きいろさんが感じてくださったままで、そうです、大丈夫ですよ。
          少しでもお心が軽くなられたなら私も嬉しいです。
          コメントにご返信いただきましてこちらこそありがとうございます!

  2. ダンゴムシ より:

    始めまして。
    メッセージを送らせて頂きました。
    見て頂けると助かります。

    • キュツ母 より:

      >ダンゴムシさん
      コメントありがとうございます。
      メッセージくださったのですね、それが、メールが見当たらず、、こちらのシステムのことでしたら申し訳ないです。
      お問い合わせからか、
      cuteshaha2018@gmail.com
      までよろしくお願いいたします。

  3. かんちゃん より:

    まずは、キュツ母さまのホロスコープを見せていただき、ありがとうございます。私はその道の者ではないのですが、拝見してその形のあまりの整然さというか完成されたかたちに、ぞくっとしました。

    以前キュツ母さんが別の記事でご自身のホロスコープを「がんじがらめ」とおっしゃっていたのですが、ああ、こういうことだったのかと。

    また、ここに至るまでに、たくさんの伏線があったことを、惜しみ無く書いていただいたことに、たくさんの読者の一人として感謝します。とても勇気がいることだったと思うので。

    渦中のなかにいると、その一つの伏線にすら飲み込まれてしまい、そのときの感情で自分なんて。。。とストーリーを作ってしまうことがよくあります。それが伏線だと気づけるには、それだけ自分自身の器が大きくて、かつさまざまな感情を体験していないと見抜けないと思うのです。

    無料鑑定を受けられた方が癒された、カウンセリングのようだったと仰られたというくだりを読んで、ああ、キュツ母さんが先にブログで自己開示をしてくださっているからこそ、相談者の方も心を開けるのだろうな、と。キュツ母さんは感性の人なのかもしれないけど、寄り添いながらも、一方でそれでよかったのか、他の受け取り方はなかったのか、きちんと内省していらっしゃるような気がします。
    そこが癒しなのでしょうね。

    新しい道を心より応援しています!

    • キュツ母 より:

      >かんちゃん
      おお!かんちゃん、ここにコメントくださってありがとうございます。その節はありがとうございました。

      私なんてまだまだ小さな器で、本当にお言葉が有り難すぎて凝縮してしまうのですが、確かに偶然にもこのブログで(たまに批判にもあいつつも(^^))、自己開示してきました。それが相談してくださる方の心の垣根みたいなものをなくしてくれていたのなら、本当に良かったと思います。

      そして更に今後の新しい道のためには、もう少し自己開示が必要なんだろうと考えていたところです。

      がんじがらめ、良く読んでくださっていて感謝です。
      そうなんです、このホロスコープを見たら、占星術を知らなくても、この形なんだ?となるかと思うし、がんじがらめに感じますよね。どこかもう少し崩れていれば、伏線も気のせいと思ったのかもしれないけれど、初めて確認した時の驚きは今でも忘れていないです。

      内省、しますね。自信が有り余る人に憧れますが、つい色々考えすぎてしまう癖があります。それこそ、自分なんて。。がしょっちゅうで、小さいなあと思わされることが多々あります。

      七転び八起き、七転八倒にならないように、例え転んでも起きることを考えて、新しい道、模索しながら残りの命生きていきたいです。
      かんちゃんのこと、私も心より応援していますよ!!(^^)
      コメントありがとうございます!

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