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生き残った者の苦悩、子供の心に寄り添う、傷にならないように、あなたが大事だということを伝える。

七五三の日ですね。

江戸の頃の綱吉さんから始まったらしいですが、確かに7歳までというのは神の領域であり、占星術でも月の無意識の年齢であります。

娘も七五三です。無事に生きてきてくれたことに感謝。

生き残った者の気持ち、そのことでの伝えたいことが頭に出てきましたので、書きます。

死産後の経験を含みます。読みたい方だけ読んでください。

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生き残った者の苦悩、子供の心に寄り添う、傷にならないように、あなたが大事だということを伝える。

私は過去、突然の死産を経験し、出血多量で死にかけ、息子は死にました。

実は今も、息子の遺骨と暮らしています。当時赤ちゃんだから骨は残らないかもと言われましたが、残ってくれていました。

大学病院の提携のお寺があるようで、私の入院中に、息子は火葬のため運ばれました。

あの日看護師さん達は私の個室に来て、もうすぐ出発だよ、と教えてくれました。

私はそのことに感謝し、息子に気持ちを送りながら、そのままお別れしました。

遺骨はお寺に後から取りに行くことができるようでしたが、そのまま供養をお願いすることもできるようでしたので、退院当初は悲しみで頭がまわらず、そのままにしていましたが、1ヶ月経たないくらいだったか、私の気持ちが変わり、そのお寺に電話して遺骨を受け取りに行きました。

死産後のお母さんの気持ちが変化しやすいことに配慮し、数ヶ月は保管しているとのことでした。素晴らしい配慮だと思いました。

息子の骨はとても小さいけれどしっかりしていました。見た時は感動した。

そのお寺を離れる前に、生まれなかった命達のお墓に祈りに行きました。

あの場所にはその子達を思う愛しい気持ちが立ち上ぼって、天までのぼっているのが見えました。涙なしではいられない光景でした。

私は奇跡的に現代医療と素晴らしい医師と看護師さん達のおかげで生き残って、息子の骨と暮らしています。私が死ぬ時まで一緒でありたいと思っている。

その遺骨に祈ることはほぼ毎日の日課であるが、娘はお兄ちゃんがいたということを知って、そのお兄ちゃんが赤ちゃんの写真であることに、まだあまり意味がわかっていないように思う。

お兄ちゃんが死ななければ、娘がこの世に存在したかはわかりません。そのことは夫も言うし、私も言う時があります。

しかし、そのことは娘はいつか自分を責めるかもしれないことなんだと感じる。

母は私よりお兄ちゃんがいた方が良かったのかと、自分が生まれてきたことを苦悩する日があるかもしれないと、そのことをいつも気にかけている。

そうはあって欲しくないから。あってはならないから。誤解されたくないという強い想いがある。

私は娘の心に、そういう想いで苦しむことのないように、言葉には特に気をつけている。ちゃんと私の気持ちが伝わるように意識してつかう。

娘で良かったと、お兄ちゃんは死んだかもしれない、それで娘と出逢えたけれども、お兄ちゃんの代わりなんかじゃなく、娘は娘だと。

あなたはあなたのままで良くて、あなたが大好きなんだと。娘が必要なんだということを、ずっとずっと何度でも伝えたいと思っています。

代わりのない「個」であることを、私はここでたまに書いてきました。

誰の代わりもできない、皆それぞれ違う。

それぞれがかけがえのない命で、だからこそ死は悲しい。

息子が死ななければ、娘はいなかったかもしれないから、大事に生きろという気はない。

人の死は人の死なんだ。それ以上でも以下でもない。

娘は娘の生を生きるべき存在で、誰かの死の上に生きていかないといけないものではないんだ。

だから、そこをいつもフォローできるように、お兄ちゃんの死を背負って苦しむことのないように、いつも気にかけている。

娘は娘の命を精一杯生きて欲しい。私達の悲しみや、先に死んでいった命のために生きるのでなく、娘は娘でいい。私は娘がいい。

確かに息子の死は事実で、私はそこから多くを学んだ。それは間違いない。

だけど、だからといって、娘にそのことを託したり、存在の代わりとしてみるのは違う。

命はひとつしかない。そのひとつしかない娘の命を私は育てたいんだ。

娘は今年のお盆に、私がお願いしたわけでもなく、お兄ちゃんの遺骨に向けて、自作の絵本を読み聞かせしていた。

その姿を見て、心から感動した。

生きていてくれて、ここまで大きくなってくれて本当にありがとう。これからもよろしくね。



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