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色々な人がいていい。

人は人と一緒にいることが多いし、輪を作ったり、中心になる人がいたりする。

それは自然なこと。

中心の人がいなくなれば、また誰かを中心にして話をする。

悪いものに騙されないために。中心と目と「気」。軸をしっかり持つこと。

それが友達でも学校でも会社でも、あなたが信じる宗教と言われるものでも、その中心の周りの人達が幸せそうであるかを見るといい。

そうすると、その輪の雰囲気は自ずとわかる。

暗そうな目をしていたり、笑ってもなく、周りを睨んでいる雰囲気のものは良くない。

子育てもそうだが、目を良く見ること。

これが難しい。

子供の目に光がなくなるのは、悪いもの(病気)を引き寄せると以前どこかに書いたけど、その中心の人の目と雰囲気、周りの人の目と雰囲気に良くあらわれる。

口の笑顔は誰でも作ろうと思えば作れる。口が笑っていたからと言って、本当に笑っているのかは判断できない。

若い頃、仕事のとある高圧的な指導者が、笑顔は口なんだ!口が笑っていれば笑顔になる!と力説し、笑顔のレッスンをさせられた。

私は新入社員の癖に絶対口じゃない、目が笑っていないのは笑顔じゃないのだと受け入れなかった。私は男女や年上だからと言って、おかしいと思ったら、従わない。

だから、ずっとひとり、最後まで笑顔の刑をやらされた。顔の肉が痛くなったのはあの時が初めてだ。
最後は嫌々受け入れたけど、心ではその人がおかしいのを知っていた。

そういう間違っている指導をする人はすぐ口癖のように言う。

嫌ならこの場から出ていっていい、とか、犯罪だと思うならそこに警察があるから行ってきてもいい、とか。

その職場もたかが知れていた。その道では有名な会社だったが。上がそんななら、下もそんなだ。

私はその中でも売り上げがすごいところにいきなり抜擢され、誰が行くの?と場がざわついたが、実際の現場の上司もあまりの人のひどさに心が病んで、すぐ辞めることになった。

口だけのニッコリに絶対騙されてはいけない。
目や「気」は一番正直だよ。

例えば、信仰するものでもそう。全て否定するわけではないが、ひどい人は本当にひどい。

洗脳されると抜け出せない。期間が長ければ長いほど、顔つきが変わってくる。悪い方に。

幸せそうな表情をしていますか?とりつかれたような顔になっていないか?目がギョロりとなり、光り方がおかしくないか。異様な興奮をしていないか?

周りが皆同じ表情になるのは、その中心がおかしいからだよ。
とてもわかりやすいよ。

幸せっていうのはどういうことか、それは人によって違っていいもの。

その周りにいれば、傷つくこともなく、またそばに行きたいな、一緒にいたいなと思えるようなとても自然なもの。強制はおかしい。

必ず自然な笑顔があり、だんだん明るさに包まれ、覇気が出てくる。暗かった人も明るくなる。

疑心暗鬼にならなくてもいい、ほっとできる場所。

自分が自分のままでゆるされる、晴れた日のお日様の下の芝生の上で寝転ぶような、ゆったりとした気持ち。

幼稚園二年間、保護者で噂になるくらい一度も保護者行事や保育参観に来なかった人がいた。

あるきっかけで私はその人の良さに気付き、見つけたら積極的に声をかけ笑いながら話すようになり、身の上を聞き、会えば挨拶しを続けた結果、いつの間にか彼女に声をかける仲間が増え、最後の一年はほぼ行事を出席、今やその中の友達と小学校で役員をやっている。

彼女の変化は極端にあらわれて、以前感じていた暗さ、孤独、歪みがとれた。

付き合いも長く続き、今年度は色々忙しくしていたため、少し離れたが、この間しばらくぶりにその輪に参加したら、皆でわいわい楽しく笑い元気そうだった。

皆キャラクターが違う、その不思議な組み合わせの輪には、もう私はいなくても大丈夫だと感じた。そういう変化が一番幸せ。

声。

この間きた、インターホン越しの宗教勧誘者の声、大丈夫?ってくらい元気がなかった。ということは、その中心はきっとおかしい。

うるさい車から「○○を信じよ」、とか聞こえるその声は低く、表情がなく、呪われた声に聞こえないか?
うわべだけ化粧した明るさの声じゃないか?

ちゃんと感じるには自分の心を整えておかないといけない。でないと、判断が狂う。弱くなっている心は簡単にそのまま取り込まれる。

昔、取り込まれた友人がいた。

私はそれを知らず、数年も会っていなかったので懐かしくなり会いに行ったら、様子がおかしい。

「私のために」といって、とある場所に監禁された。

言葉は悪いが、あれがライトな監禁だろうと私は思った。

2時間くらい、○十万円するモノの説明や、怪しい創設者のビデオを観させられ、最後はその元友人含め、四人くらいにいかにこれが素晴らしくて、簡単で安くて、今後の私のためになるかと力説され、その場でサインしろと囲まれた。

他にも連れてこられたと思われる人が5、6人、もしかしたらサクラだったかもしれないが、ビデオの後に司会者が、ここに今いることがラッキーだと思う人、手を挙げてくださいと言うと、私以外の皆ニコニコしながら手を挙げていた。そして、私とは裏腹にすぐサインしていたようだ。

私は当たり前だがきっぱり断り続けた。最終的に前後左右四人にも囲まれているのは多分私くらいだったかと。あの時も、怪しくはないから、そこの警察に話してきてもいいと言われたな。

一時間以上かな、今はサインできないと説得を断り続け、最後は、この資料を一度持って帰って、一週間後に判断するからと押しきって、向こうもあまりの頑固さに疲れたらしく、最後は解放された。ぐったり疲れたのを覚えている。

私はその資料のありとあらゆる箇所にこれはおかしいとしるしをつけて、一週間後にその元友人から電話がきた時に、ここはどうなのか、これはおかしくないかと読み上げ反論した。元友人は私の意見に答えられなかった。

こんなことを続けるのはおかしいから、あなたのためにそこを辞めろと言った。それでもわからないなら、もう私に二度と関わるな、絶交すると伝えたが、その人は最後まで変わらなかった。

悔しかった。力がなくどうにもしてやれなかった。

私は絶交した。電話番号は消し、忌まわしい資料を捨てた。あの後のあの人がどうなったか知らない。

「私のため」本当に私のためだと思うのがおかしい。善意でごまかされた悪意に気がつかないなんて。

会わなかった数年の間に何があの人を変えたんだろう。頭は悪くなかったはずだ、偏差値は70くらいあったはずなんだから。

私を取り込むのに必死の顔していたな。どんなに頭が良くても、性格が良く思っていた人も、変わってしまう人はいる。

あなたのため、儲かる、優しい言葉の裏に何があるのか、良く良く考えて欲しい。

それは最初だけの幸せなんじゃないのか。見せかけの派手な看板に騙されてはいないか。

皆がサインしているから、自分も大丈夫だろうと思っていないか。

それは結局、自分で判断するしかないんだよ

その信仰に値する人のそばに、いつも必ず誰かがセットでいるのなら、ひとりで判断できない中心者だよ。そういう中心はちょっと強い人が近付くとグラグラして簡単に悪い方に意志が変わるよ。

お母さんは子供の中心だよ、だから、ちゃんと子供の目が曇りになってないか、光が消えてないか、できる時は気にしてみて。

意識すれば、その子供の目の輝きは、自分の目と同じであることに気がつける。

信仰は自由だよ。だけど自由にはいつも危険がたくさんあることを忘れちゃいけないんだ。

だからこそ、しっかりした自分の軸があること

その周りにいる人の顔、目、声。雰囲気というのかな、発している「気」。
心で見てください。
よく感じてください。
最初はわからなくても、経験する内、わかるようになります。
何かを判断する時、気をつけて。

気が付いて、違うと思ったら、意志を強く持って行動してください。

あなたを守れるのは、あなたです。