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困っている人がいた時どうするか、娘に話したこととその成長

困っている人や子供、友達やクラスメイトがいた時、私が娘に教えてきたことや、娘の成長を書いてみたいと思う。

この「困っている」の出方というのは人によって違う。

ひたすら存在を消すようになったり、我慢が重なり涙を流す人や、逆に別方向に強く出た場合は、人に迷惑やちょっかいを出したり、何かを壊したり、盗んだりすることになる。

この場合、娘は強く主張に出ている人とは我を忘れてやり合ってしまうタイプなので、その場合はあまり娘のためにならないので、気にしない=なるべく無視するように言う。

クラスにこのタイプがいて、隣になった時は場合によりやり合うことで、例え娘の主張が正しくても、クラスの授業や雰囲気にとって、迷惑になることがあるからだ。

しかし、主張できず、息を殺して存在を消そうとしたり、我慢を重ねすぎた人の場合はどうだろう。

こういうタイプの人は自分からなかなか「助けて」と言えなかったりする。(この度の虐待死の事件は、この命がけの助けてに対し周囲はどう対応したのだ、非常に許しがたい)

娘が勇気のある主張のあるタイプだから、私はこちらの人がいたら、その良さを使って欲しいと、いつも娘に言ってきた。

ただ、声のかけ方は子供だから非常に難しい。聞いていて、それは失敗していると感じたりするが、根気よく、その場合はこういう時にその子に声をかけてあげてと伝える。

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娘のクラスで毎日何回もしくしくと泣いてしまう男の子がいた。

実は幼稚園の年少で同じクラスだったことがある。とてものんびりしていてマイペースかつおとなしい子。

その子と娘が今のクラスで隣になった時、私はその様子を家で聞いて、「それは心配だね、『何か困っていることがあったら言ってね』と声をかけてあげるといいかもね」と言った。

すると、娘はそう言ってみたけど、その子は泣きながら首を振り、嫌だ嫌だ、という雰囲気だったと言う。

多分、その時はその子は溢れんばかりに困っていて泣き出したピークで、娘はそうなってから「何か困っているのななら、、」と言ったんだと思う。

それで、私は娘に状況を確認してから伝えたのだけど、その子が泣いていない時、普通にしている時にその言葉をかけてあげて、と。

理由としては、パニックになっている時は自分でも良くわからなくなってしまうから、周りに何を言われても心が素直でなくなったり、ますます自分なんて、と思ったりするからだ。

優しい言葉も、使う時を間違えれば攻撃ととられることがある。

それで、娘は次の日、その子が泣いていない普通の時に、その言葉をかけたらしい。そうしたら、「うん!」と言ってくれたと。私は良かったと思った。

あなたが困った時に、私は味方なんだよという意思表示を普段から伝えておけば、その子は少しだけ安心できる。泣いていることを責められていないのだということを、普通モードの時に先に教えておくのは有効だ。何かあった時に、助けてとか、これが辛いよというのが伝えやすくなる。

その子と隣になれたことで、娘はひとつの経験になったと思う。もちろんその子が困らないで毎日笑って過ごせるのが一番いい。でも、困っている子のことを気にかけてあげる気持ちが、娘にあることが私は嬉しかった。

幼稚園の年長の頃、ある女の子の友達が毎日幼稚園に来ると激しく泣いていると言う。お母さんともなかなか離れたがらないと。離れても朝の時間ずっと泣いているのだと。

そのことをたまたまお母さんに会った時に聞いたら、そうなんだと、実は食欲もなくなって、と話していた。

それで、娘に無理しなくていいけど、遊べる時はその子と一緒に遊んで欲しいと伝えておいた。

元々友達の中のひとりだったからか、娘は泣いているその子に自分の作った得意の工作品を持っていき、一緒に作らない?と誘ったらしい。

すると、その子はその作品が作りたいと思ったらしく、泣き止んで二人で一緒に作ったのだと言っていた。

私は娘に心から褒めた。それはいいことをした!と。休み時間もその工作品で一緒に遊んだんだ、と。

それから、まだ泣く日もあったようだし、見れば確かに痩せてはいたが、娘とその子はどんどん仲良くなり、一緒に砂場で遊んだり、工作したりして過ごした。

私は参観日の時、娘の後ろ姿とその子の後ろ姿が並んで、なにやら楽しそうに一生懸命ごそごそと作っているのをこっそり見て、本当に嬉しかった。ずっと眺めていたいと思った。

そのお母さんにまた会った時、娘が仲良くしてくれてから幼稚園で泣くことが減って、本当に感謝していると伝えてくれた。嬉しかったなあ。

本当に素敵なお母さんで、それまで違うクラスだったけど、共通の友人を介して話す時も嫌な顔ひとつせずいつも笑って話してくれて、私は彼女が好きだったし、娘も一緒に工作ができるのが本当に楽しいようだったから、こちらこそいつもありがとう!と笑顔で話したのを覚えている。

その子はクラスで泣き虫だと思われていたかもしれないが、とんでもない才能の持ち主だった。というのも、学芸会の劇を見た時の彼女の堂々とした演技があまりにも素晴らしくて。
そして、私が役員なので司会をして個人個人に話しかけ質問した時も、答え方やその内容が知的で素晴らしかった。思わず、本人に素晴らしい!と言ってしまったくらい。

私はお母さんに言った。彼女は舞台向きの人だ、本当にすごい才能を持っているね!と。とんでもない、そんなことないと言っていたが、その聡明さがひときわ小さな体から溢れているのを私は見逃さなかった。彼女の将来がとても楽しみだと思った。

年長の療育のクラスには先生が3人いた。それぞれ個性が全然違う。

そのクラスで、先生方の「誰か」へ質問か何かをするという授業があり、子供たちに悪気はなかったのだと思うのだけど、ひとりの先生をほとんど指名しなかったらしい。

私は教室の外からなんとなくしか見られないので、後から娘に聞いたのだけど、その先生だけ皆があてないから、自分は順番が来た時はその先生に質問したんだ、と。

もう、涙が出るほど嬉しかったよ私は。

私が日々娘に伝えてきたこと、娘はちゃんとわかっていたんだと思って感動した。

あんなに2歳3歳の頃は順番すら待てずに、我慢もできずに、奪うことすらあったというのに。もう、この成長を感じた時、私は娘の母で良かったなと思った。娘にこんなに成長してくれてありがとうと言った。

先生も後からね、私に伝えてくれたの。本当に一生懸命ね、私のことに気がついて、わかってくれていたんです、気を遣ってくれたんだと思いました、と。

それをすぐ授業の後で聞いた時は、その説明が実はうまく伝わって来なかったのだけど、後から娘に聞いて、娘にすごい!すごい!本当に素晴らしい!と感情丸出しで褒めて喜んだ。娘も褒められて嬉しそうだった。こんなドヤ顔ならどんどんして欲しいと思った。

自分から主張できない、しない、それが、本人の意思なのか、そうでないのかの見極めは非常に難しい。だから、思いやりっていうのは本当に難しい。

だけど、主張しないから、その人が悪いとか、無視していいとか、そういうのじゃないと私は思う。

見極めやさじ加減は非常に難しいが、これからも娘には自分の積極的な面をそのようにいかしていって欲しいと思っている。



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