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タイトルの通りなんだけど、娘が小学生になり、私が親で一番思うのは、

公立なんか特にそうだろうけど、学校というのは伝統が重視されているから変化を嫌うんだなということ。

集まる教師になる人も、真面目かつ堅い人が多いはずで、変化を希望しないことが当たり前というか、変革していく感じじゃない。

したいと思っても、上の人が変化を良しと思う人じゃないと、何もできない感じだと思う。

そこに良いこともあるけど、え?と疑問に思うこともあって。

というのも、これだけ社会が便利になり、母親も働く人が多くなった(というか女性の社会進出の希望が叶うと同時にそうでもしないと生活していけない不安の時代でもある)のに、未だにシステムが昭和のままじゃないかという驚き。

ということで、うちの学校は欠席も電話は駄目、あくまでも登校班や近所の友達への連絡帳から何らかの連絡をする。

こちらが家族でインフルやノロになっても、誰かに外に出て届けないといけないというアナログぶり。

しかもインフルエンザでも毎日連絡帳を届け、宿題などを書いて戻してもらう。

戻してもらうのも、誰かを通じないといけないので、そのお友達のお母さんとやりとりしなければならない。

先生は欠席者がどんなに増えても必ず手書きで一筆添えるという大変さ。

欠席遅刻もアプリの導入とか、せめてメールでとか、そのクラスの今日の宿題をネットで見られるようにするとか、なんとかならないのか。

セキュリティや責任問題のこともあるだろうし、色々な家庭があるからわかるんだけど、時代と社会が変わってもそこは特に母の負担になることばかりだと思う。

便利になったところはうまく利用すれば、時間短縮、長時間労働や負担を軽くすることにもなるのに、あまりにも時代と離れている。

保守的なことは悪いことではないけど、なんで?と思うことが多い。それが学校と言われればそうかもしれない。

傷ついた木の机や、黒板がこすれる音、あの教室という独特の場所は私たちの時代と変わらなくても、もっと別の部分の負担は変わっていくべきではないだろうかと疑問に思う。

やっぱりカテゴリーと考えた時に、集まる場所には人の性質も似てくるから、しかも教育というカテゴリーになると、気軽にとか試しにとかできなくて、変わるのにある程度の時間、それも年単位がかかることはあるとして、とにかく欠席連絡くらいもうちょっと考えても良いのでは?と思わずにはいられない。