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小学校読書感想文について思う 母の独白

今月の、【自分個人の】お小遣いが少な過ぎてびっくりした毒母です。
いや毒母予備軍です。
いや、予備軍やめたいです。
というか、軍になりたくないです。
せめて、人になりたいです。

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小学校読書感想文に思う 母の独白

今日ね、娘と口論になったというか、私の悪い癖、一方的に話してしまいました。反省。
やっぱり予備人だわ。

小学校の夏休み明けには読書感想文を書く予定があるという。

読書感想文というからには、例え歴史モノと言えど、漫画はダメなんでないかというところから始まりました。

それで、娘が一学期10歳までに読みたいなんちゃらシリーズみたいな本の、ヘレンケラーを読んで感動していてその話がなかなか良かったから、そういうのはどうかなと提案したけど、娘は乗り気じゃない。

不思議なのは、彼女はあれだけラーメンの麺バリバリかたい時間しか黙ることができないくらいおしゃべりで、言葉も達者である癖に、文章になるとどう書いたらいいかわからないみたいなのだ。

私にはそれが不思議で仕方ない。まだ口からスラスラ能力と脳内変換で文章にする能力とが一致していないからか。

だからそれだけ口からたくさん出ているのだから、それをそのまま文にすればいいんだよ、と言うけれど、蓋を開ければ、〜〜でびっくりしました、とか、〜〜で楽しかったです、みたいなものばかり。

だから、作文というのは、どうびっくりしたのか、どう楽しかったのか、それを表現するのが大切で、その「どう」の部分、それこそが個性で、それこそがあなたらしさなんだよ!と、予備人は力説してしまった。

でも、いまいちわかっていなさそうだ。

それで、何故私がヘレンケラーにすれば?と言ったかというと、その「どう」を表現するのには、こういうと誤解があるかもしれないが、物語の展開がドラマチックであればあるほど、「どう」感じたかは書きやすいと思うからだ。

例えば、私の死産の話なんかは人の心を割と簡単に動かせる。
何故なら少しでも想像力や共感力や妊娠出産の経験があれば、赤ちゃんの死というのは強烈なインパクトがあり、その事実だけで悲しみを共有しやすいからだ。

だから、その悲しさや、それを乗り越えた物語の感想を文にすることは、読み手の心に何かしらのインパクトを残すことができる。

逆に、普通のなんでもない日常を文章にして、人の心を動かすことほど難しいことはないと思う。

それができるなら、そういう本でもなんでも構わないのだが。

ただ、楽しかったです、感動しました、それを「どう」人に伝えるか、「どう」気持ちを動かされているかっていうのは、やっぱり人の個性が出る。

自分の気持ちを拾う時に、普通の描写であればあるほど、センスが必要だと思うからだ。

それこそ元が日常であればあるほど、読ませるにはそれなりの独自の感受性や文章力が必要で、無ければありきたりなつまらない文になってしまう。

読んだ作品が既にドラマチックだと、感想文の能力がそれほどなくても、その作品自体の力を大いに借りることができるように思ったから、以前娘が感動したヘレンケラーはどうか、と思ったんだ。

娘はまだ決めかねている。

でも、これ私が決めたら、それこそ毒母まっしぐらじゃないか。これ以上は母は口出ししちゃいかんのだ。
私は毒母予備軍でもなく、予備人でもなく、ただの人になりたいんだから。

娘の作文能力、これからアップしていくのかしら。それとも、口とそれはまた別でそれも娘の個性なのかしら。

そうか、それは私に滑舌を直せとか、人前で緊張するなとか、その類と同じなのかしら。

やっぱり、私はこのままだと毒母の予備人になりそうだから、説教せず提案し過ぎずに黙る癖をつけないと。

せめて娘にとって、毒から苺くらいの字に変わるように(ねえ、全然似てなくない?)自分を脅しておこうと思う。

そう、それが毒母になりたくない予備人の、独白ならぬ、毒白だ。

 

、、、、やっぱり黙れば?



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