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一昨日、私達にとってこの冬初めての雪が降った。

といっても、あっという間にとけてしまうようなもので、時間もあっと言う間だった。

明日は雪になるかもしれないと、TVの予報を観た時に、娘はとても喜んでいた。

雪がとても好きみたいなんだ。

雪というだけで、もう外が遊園地になったかのように喜ぶ。

これが毎日なら、また違う話なのだろうけど、とにかく雪かもしれないという天気予報は、娘にとって外がデズニーランドになります、というようなものらしい。

しかし予報に期待し過ぎると、痛い目にあうことがある。

朝、ワクワクして窓の外を見てみると、地面は濡れているものの、雪が降っていなかったのだ。

こうなると、この人は誰に似たのか厄介で、ちょっとご機嫌斜めになる。

まるで、私が意地悪で降らせなかったかのように、テンションが下がって、文句を言い始めるのだ。

文句を言っても、雪なんて降らせることはできない。この世の中で、どうにもできないことがあるのなら、それは天気とか災害とか、そういう自然のことだ。
人間にはどうにもならないものというのはある。

それがわかっていても悔しい。大好きだから悔しい。その気持ちもわかる。

それだけ執着できるのは幸せとも言えるかもしれないが諦めが悪く、こっちが何を言おうと、だって天気予報で、、と言われてしまうから困る。

予報は100%でないのだ。
わかるけど、悔しいのだろう。まだまだ子供だから。そしてそれも娘の性格なのだろう。

期待して駄目だった時の悔しさは、私も持っていたはずなのに、忘れちゃったのかもしれない。

しかし、しばらくすると、娘の祈りが通じたのか、とうとう雪が降ってきたのだ。

雪だ!と、叫んで喜んだと思ったら、間髪を入れずにくるっと振り返って「行こ!」と言う。

行こ!じゃないよ。私は行きたくないよ、だって寒いから、、と思うのに、あまりに幸せそうだから、やっぱり付き合ってしまう。

待ちきれなくなるととにかくうるさいから、先に外で待っていてと言って、後から外に出た。

外にいる娘は嬉しそうに空を見上げている。

髪の毛に雪がとけた水滴がたくさんついている。

道行く人は皆傘をさしていたが、私たちは手ぶらだ。

いつもの公園も、雪が降っているというだけでなんだか特別に見えてくるから不思議だ。

娘はまだ雪が降ってきてすぐなのに、積もってない!とプンプン言った。せっかち過ぎてびっくりする。

そんなにすぐは積もらないし、多分積もるほどは降らないよ、と言ってみるけど、「去年はベンチに少し積もっていたんだもん!」と言う。
去年と今年の今日を比べても仕方ないのに全く困った人だと思いながら、そんなに怒るくらい雪が好きなんだなあと思った。

だけど積もっていなくても、雪が好き過ぎる娘はとても嬉しそうだ。

やっぱり雨とは違うみたいなんだ。

雪の中、「どんちけた」を砂場の周りで2人でやって遊ぶ。私はジャンケンが弱すぎる。お前はドラえもんか!というくらいグーばっかり出して、娘に連敗してしまう。

ボケているから、もとの場所に戻って走り出す時に、娘と同じ方向に行ってしまい、追いかけっこのようになってしまう。
これではいつまでも出会わず、どんちけた!って向かい合ってできないではないか。何をやっとるんだ私は。

雪の日でも元気に遊ぶとあつくなってきて、娘の脱いだジャンパーは私が持つことになる。母はだいたい荷物持ち係だ。

2人だけの貸切の公園でぐるぐる周りながら遊んでいると雪がやんできて、娘は泣きそうになりながら、別れを感じて不機嫌になる

まだまだ遊びたい!と言う割には、手が寒いー!とまた不機嫌になる

どうやっても結局不機嫌には変わりない

終わりっていうのはなかなか諦めがつかないし、本当はずっと続いて欲しいものだ。楽しかったり、大好きなら余計にそうだ。

でもいつかは終わってしまう。

その寂しさがまた、次の雪への期待になるんだな。

だからまた更に不機嫌になるんだな。

本当の満足なんてのは、どうやったら手に入るんだろうと思う。そもそも存在するのだろうか?とすら思う。

娘よ。雪の日って、レアだからいいんだよ。
不満があるくらいがちょうどいい。
それが満喫できたってことだよ。