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子供の虐待死のニュースはいつ見ても胸が苦しくなる。

子供のことを考えても、その両親のことを考えても。

どうしてそうなったのか、何がそうさせたのか。

責めることは簡単なんだ。誰だって出来るんだよ。

昔の私ならその親のことを責めて終わりだったと思う。

だけど私も歳を重ねて色々経験して思ったのは、責めても誰も救えないってこと。

子供を虐待してしまっていることに気がつきながら見ないふりをしている自分が嫌だという人、

どうしてこうなるのか自分でもわからない人、

子供を虐待することをやめたいと思っているのになかなか抜け出せない人、

もし、あなたが気がついたなら、変わりたいと思うのなら変われます。

そのためには段階が必要なんです。

誰だっていきなりは変われないもの。

その心の奥にあるものが問題なんです。

きっと多くの人はそれに気がついていない。見えていないと思うんです。

虐待にはその人自身の傷が関係しています。

やめたいと思うことができたのなら、ひとつ難関はクリアしています。

ひとつクリアできているんです。

そこで止まって、自分で変われる人ならそれで良いです。

でもひどいことを繰り返してしまう人には告白が必要です。

誰かに話すことです。

自分の行いを、しかも虐待という重いことを人に話すということはそうできるものではないと思います。

一番人に言えないことは、一番自分で苦しんでいることです。

苦しいから言えないのです。隠しておきたいのです。

でも隠しておいては前に進めないことも多いです。

まず自分が虐待している罪悪感に気がついたなら、次はそれを告白することが変われるきっかけを作ります。

誰に話をするかですが、もちろん自治体や児童相談所、虐待防止を掲げている場所に電話や相談をしてみることです。

調べてみるという一歩を踏み出すことは大事です。

今はインターネットが普及し、こうしてここにたどり着く人もいるかも知れないと思って書きますが、もし私で良ければ告白してください。

自分を変えたいと思っている方の力になりたいのです。

まずその思いを書く事です。

私は聴きます。話を聴きます。

胸を痛めながら考えました。私には何かできないのかと。

幸い私は人の心や感情がみえやすい性質なので、その方が自分自身で見えていない部分を探っていくことができると思います。

少しでもその子供と虐待してしまう方の心を救いたいと思って書いています。

自分でも偉そうだなと思います。

でも私は普通にしようとしても結局浮いてしまう人間なんだとわかったら、誰に叩かれてももう偉そうにすることにしました。

それは私のためにではなく、人の役にたちたいからです。この衝動がなんなのか自分でもわかりません。

どうせ偉そうにって思われてしまうのなら、どうせ色々わかってしまうのなら、必要としている人のためにその能力を使いたい。

今泣きながらこれを書いています。

苦しいのなら書いてください。

告白することには勇気が必要です。

でも変わりたいと思うのなら、あなたは変われるのです。いつからだって変われます。

命があるのなら変われます。

いきなりは無理なんです。

だからゆっくり変わりましょう。

安心してください。あなたはひとりじゃない。

私があなたにできることは物質面ではないけれど、精神面で力になりたいと思っています。

生活があるので、時間ができない時もあります。すぐにコメントをお返しできないこともあります。

でも待っていただけるのなら、私に何か起きない限り必ずあなたに返事をします。

苦しんでいるあなたのために、その子供のために、心から聴きます。

メールではなく、コメント欄に書いてください。

そのために必要なメールの情報は、あって欲しくないですが警察から要請がくれば情報は開示します。

それでも良ければ、私で良ければ、話を聴きます。

あなたの心のそばで話を聴きます。

苦しいけど、一歩前にすすむ勇気を持ってください。

大丈夫、私はあなたの全てを憎むことはありません。

少しずつでも構いません。ただの悩みでも構いません。

まずは告白することです。

そこから全て始まります。

そこから変われます。

私があなたの心のそばにいます。

私で良ければ話してください。