叱らない子育ての意味を取り違えてはいけない。
言葉だけが一人歩きして、間違って意識してしまっている人もいるのではないかと思う。
あれは叱る必要がないくらいに育てようという育児なのだから。
そして、限りある幼児の時期に善悪を教えること、マナーを教えることを怠ってはいけないと思う。
きちんと叱り教えることの大事さ。
その大事な時期って忙しさの中であっという間に過ぎてしまうから。
叱らない子育てではなく、限りある幼児の時期にきちんと叱り教えることが大事
叱ることが自己肯定感を下げるという人がいるが、私はそうは思わない。
何でも許され放任された育ち方をした子供はいつか誰かに怒られる。叱られる。
親以外に叱られることは自己肯定感につながるのか?と思う。
例えば、ごめんなさいが言えない子、暴力を振るう子、最低限のマナーを守れない子。
いつか自分の学びでわかるようになるからと親が真剣に向き合わず放っておいて、そのまま育ってしまった場合、友達には間違いなく避けられるようになるだろう。
その時も自己肯定感を維持した生き方ができるか?と思う。
そりゃ怒鳴りまくったりして、ひどい言葉を投げ掛けていたら、自己肯定感は下がると思う。 親との距離も広がると思う。
だけどきちんと叱ること、それは愛がないとできない。
ごめんなさいと言えない子に、ごめんなさいと謝る理由を教えているか?謝らないと相手がどんな気持ちになるか考えさせているか?謝らないままだと今後どうなるかを予想できているか?
生きていく上で必要なこと、してはいけないこと、人との関わりにおいて知らないといけないことを教えることは大事だと思う。
特に分かりにくい発達障害だった場合、きちんと教えていかないと、健常者と違って、自分から自然に学ぶことに時間がかかると思う。
いつかわかるだろうと思っていたら、脳がやわらかい時期はあっという間に過ぎてしまう。
大きくなってからしつけようとしても、だんだん親の言うことなど聞かなくなるので、余計難しくなると思う。
私は自分のことをどちらかというと過干渉気味だと思って娘を5歳の今まで育ててきたが、娘が軽度発達障害だとわかった今は、過干渉気味でもきちんと叱ってきて、細かく気持ちを教えてきて良かったと思っている。健常の子であっても同じ対応をしたと思うけれども、。
特に娘に言って聞かせてきた部分は、
・挨拶
・人が傷つくことをした時、他人の気持ち、順番
・公共の場所でのマナー
・怪我しそうなこと
・交通ルール
きちんと叱ってきて良かったことは
特に挨拶などは、ママ知り合いに褒められたり、病院などでも先生に褒められたりして、娘の自己肯定感につながっていると思えること。
褒められた娘を見て嬉しい気持ちになるし、私も心から褒めることができる。
良い連鎖がつながっていくのだ。
子供は親を見て育つ
もちろん、娘を上からただ叱って教えるだけでは良くないと思う。
子供は親のことを見て育つのはわかっていたので、自分から積極的に挨拶をすることを大事にしてきた。
家の中でも、挨拶をきちんとする、特にありがとう、ごめんなさいは親もきちんと言うことを心がけた。
子供に謝るなんて!と言う人もいるかもしれないが、親が謝らない人だと子供は謝らないと思う。
幼児の内にしつけると叱ることが減ってくる
教えるべき大事な部分を幼児の内に癖にしてしまえば、こちらも気持ち良く過ごせるし、それが娘との摩擦を減らす。
摩擦が減るということは、最終的に叱ることも減ってくる。
私は今まで厳しく娘に言ってきた。だけど、それで今は心から良かった、と思っている。
でもきちんと叱ることを頭に置いていた、それを正当化してきた自分でも、娘の自己肯定感を下げないために気をつけていたことがある。
親子関係が悪ければ、叱っても響きにくくなるし、恐怖で子供を支配するのはなんの得にもならないと思う。
長くなるので次回に書きたいと思う。