ずっとこのブログに書こうか迷っていた死産のことを今後はマイペースに書いていこうと思います。
内容的にはヘビーになるかと思いますので、今までのキュツメキタイプの読者の方にはお断りをしなければと思って書いています。
死産したことは事実なのですが、そういう部分は読みたくないよいらないよーという人もいらっしゃって当然です。そういった方は死産カテゴリーを是非スルーしていただきたいです。
興味のある方はああこういうことがあるのね、みたいな感じで読んでくれると有難いです。
私としてはそれを書くことで慰めが欲しいとかそういう気持ちでは特にありません。
ただの?悩み多き育児ブログだったところに、今後死産についてマイペースに書き綴ろうと思った理由は何かと言うと。
それは年月が経ち自分の中で書ける気持ちになったこと、そして何よりある一記事についてコメントを通じ育児を非難されたことがきっかけです。
私は今、軽度ですが自閉症スペクトラム(アスペルガー傾向)の6歳の娘を育てています。
発達障害の育児には大きな葛藤があります。うまくいかないことへの悩み苦しみ怒り悲しみ。そういうものを書いたひとつの記事に対する批判でした。
一記事だけでなく他にも読んでいただければわかるかと思いますが、私は娘への愚痴や嫌なところばかりを書いてきたわけではないです。
母として試行錯誤しながら育児で気付いたことを思いつくまま記録していこう、と始めたブログです。
その記事への批判は、親である資格がない、娘がかわいそうだから施設に預けろ、というような内容だったと記憶しています。
母親はとても苦しい時に子育ての愚痴を書いてもいけないのか、私に娘への愛情がない育てる資格が無いとどうしてそこまで決め付けるのか、そんな気持ちになりました。
その時にぶわっと自分の中から想いが吹き出してきたんですね。今までブログにちらっとも書いたことがなかった死産のことを自分から暴露しました。
私は娘の前に一人死産しており、娘は初めての子供ですが実は二人目であること。
そのことをずっと書かずに誰にもブログのことを告げずにやってきました。
死産というものを経験していると子供がいることの有り難みを感じざるを得ません。
あの小さな遺体と寄り添った自分には今娘が生きていてくれること、今の環境への感謝というのはものすごくあるのです。
命の尊さや子供への愛情も、今娘がいてくれることも感謝している。
だけど子育てをしていると(発達障害であってもなくても)正論や綺麗事では片付けられない気持ちになることはあるのだと感じました。一人死んで、二人目の初めての子供でもそんな感情になるのです。
子供が死ぬことは言葉に表せないくらい悲しい、そして子供を育てることも「ただ幸せ」という感情だけでは済まないのだということを、死産と育児、両方の体験から学びました。私はどちらの気持ちもわかります。これが嘘じゃない気持ちです。
文章にしようがしまいが子育てでどろどろした気持ちになったことのない、悩みのない母親なんているでしょうか?
その悩みを分かち合い話すことで自分だけでないと知ることで救われることだってあります。
自分と同じように辛いと感じることはあるのだなと、気持ちをわかってくださったことに感謝してまた明日から頑張ろう、そう思える時があるのです。
子供の死を経験しどん底まで悲しんだ人間でも、大事な子供に神様のように接せられない時がある、理想と現実は違う、でも誰よりも真剣に心の底から娘を愛しているんだと。
それを事実として例として伝えたくて、思わず暴露してしまったことがきっかけです。
たまたまそれがきっかけになっただけですが、いつかはなかなか体験することのない死産という経験について書けたらいいなとはずっと思っていました。
いつかは、と思いつつ、あれからもうすぐ8年経ちます。
ここまで経たないと自分に起こった出来事を詳しく書く気持ちにすらなれませんでした。
もちろん娘の育児で手一杯だったこともあります。
でも、精神的にも、やっと、という感じです。
そのきっかけを頂いた時に逆にこれは自分にとっての転機になるなと思いました。
今まではこのブログで育児で大変だった部分や面白かったこと、日常等、色々書いてきました。
それは自分のためでもあり、同じように辛い思いをされている方の何かの参考にもなるかなと思っていた部分もありました。
死産についても同じです。
死産した母親がその後どのように生きていったか何を感じているのか、人それぞれだと思っていますが、ひとつの例として私の経験したことや気持ちを書いていきたいなと思っています。
今なら悲しみの中にあってもどこか冷静に書けるのではないか、そう感じています。
また、悲しい思いを抱えている方の気持ちに寄り添いたいなという部分もあります。
妊娠、死産、出産、発達障害を知る経験がきっかけになって、自分の中でこの与えられた経験を生かさずに何もせずに死んではいけないというような、ある種の使命感のようなものが生まれたようにも感じています。
出産ということだけでも女性の人生においてはとても大きな出来事です。
そして、死産についてはなかなか大きく語られることはないと思います。
それだけ精神的なダメージが大きくデリケートなことです、周囲にも気を遣わせてしまうため、現実にはなかなか吐き出し口がありません。
子供が産まれることを楽しみに過ごしてきた母親にとって、赤ちゃんの死というのははかりきれないショックです。
人生が変わってしまう人もおられても不思議ではありません。
実際私も、一歩違えば今どうなっていたかわからないと感じるくらい、悲しく大きな出来事でした。
これから詳しく色々な側面から書いていきたいと思っていますが、今までの育児ブログとは少し趣向も変わりますので、死産というカテゴリ-を新たにつくりました。
このカテゴリーは、同じように悲しい思いをされた方、今も悲しみから抜けられない方、産婦人科精神科等の医療従事者の方、死産を経験された方のご家族や友人等周囲の方、妊娠していらして勉強中の方、そういった方々へもひとつの例として参考になったら良いなと思っています。
今でも思い出すと重く悲しいですが、一人の人間としてひとつ強く成長させてもらったんだなと感じています。
この決意の記事を書いたからといって、すぐすらすら書けるかどうかは自分でもわかりません。
通常の育児ブログと織り交ぜつつになるかもしれませんが、もし読んでくださる方がいらっしゃいましたら、こういうことがあったんだなと、どうかあたたかく見守ってくださると嬉しいです。
こんにちは、いつも励ましのコメントをして頂いてるのになかなかコメントできずにすみません。
キュッ母さんの優しさは様々な苦しみや辛さを乗り越えてきたからこそなんですね。
娘さんが自立してきたのも大きな愛情で育てられたからこそなんだろうなぁと感じています。
まだまだ余裕のない毎日ですが、娘たちの成長は大きな癒しになっています。
(今は娘が繰り返し園で風邪をもらってきて家庭内で蔓延中ですが・・・)
ジェットコースターのような毎日もきっと後から振り返れば育児の思い出の一つになるはず!と信じて毎日自分を褒めながら過ごしています。
友人に流産の経験をした人がいるので、キュッ母さんがどのような想いで死産と向き合ってきたのか私自身とても興味があります。
重くて辛くて悲しい過去と向き合うことは勇気がいることだと思いますが、マイペースにこれからも色々な想いを綴っていってくださいね。
いつもいつも優しいコメントありがとうございます!
>さあやさん
優しいお言葉ありがとうございます。
さあやさんのご家庭でも風邪流行り、辛いですね。気温差が出てくるとどうしても流行りにのりますよね。私も未だに本調子でないようですが踏ん張っています。
そうです、たくさん頑張っている自分のことを褒めてください!思い出に、なります!どんなジェットコースターでもとても素晴らしい思い出に!私ももっと自分のこと褒めるぞー!笑
流産されたお友達がいらっしゃるのですね、流産もとても辛い経験ですね。私には死産の経験しかないけれど、流産、そして死産、辛かったであろう方の気持ちが経験してから自分にはわかるようになったと思います。
悲しいことなので振り返るのはやはり辛いのですが、書き残すことでまたひとつ前に進めるのかなと、進みたいなと感じています。
コメントの返信は本当にお気になさらないでください!いつも本当に感謝しています。
さあやさんコメントありがとうございます!
キュツ母さん、こんばんは。以前一度コメントさせていただきました。
これも私の友人の話ですが、キュツ母さんのように死産を経験した友人がいます。
結婚して6年目にやっとできた子供でした。37週くらいでした。
そろそろ「産まれる頃だな、どうしてるかな?」と思って電話をしたら「赤ちゃん可哀想な事になってしまって死んじゃったの。皆にも伝えてくれない?」という返事が返って来ました。
私は何と声を掛けて良いのか驚きましたが「分かった、皆にはちゃんと連絡しておくから心配しないで休んで。あなたの身体は大丈夫?」と言った内容を話しをしたと記憶しています。
妊婦健診に行ったら心臓が真っ黒になっていて動いておらず、そのまま誘発分娩になったそうです。原因はお腹の中での事故で臍の緒が何重にも結び目が出来ていて血液が流れなくなった事。後日、亡くなった子の写真を持って来たので「ここがあなたに似てて、ここはご主人ね。」って話をしました。
彼女はその翌年に亡くなったのと同じ男の子を出産しました。
その子は去年、小学2年生で広汎性発達障害の高機能障害と判明しました。
キュツ母さんと全く違うのは、周りから言われても学校から連絡が来るまで一切検査をしなかった事です。
色々な取りや考え方がありますが、私個人的には訓練で随分周りとの協調が育つ子もいるのに勿体ないなぁって思います。
キュツ母さんのお子さんはお母さんがキュツ母さんで良かったと思います。
子供が社会に溶け込むように、なるべく生きやすいように育てたいって思いがブログからも伝わりますよ。葛藤も全て正直な気持ちだと思います。
>ちぃままさん
その方の気持ちがすごくわかって辛いです、死産の内容は違うけれど、時期や行動等から混乱と悲しみが伝わってきます。
突然の死産で本当に辛かったでしょうね、そんな中にもちぃままさんが優しく心配してくれて心強かったと思います。写真も見てほしかったのでしょう。
私も極少ない友人には写真を見せました、なのでその方のその気持ちの意味を、私はよくわかります。いずれまたそのことも書くつもりでいます。
その方との共通点は待望の次のお子さんが発達障害だったことですね。なんだか本当にお気持ちがわかるなあ、、子供のいる有り難さに、もしかしたらの気持ちが重なって、辛くて信じたくない、そんな気持ちになられたんじゃないかなと思います。
普通に産んで普通に育てていく人が多いの中で、なぜ自分がこんなことになるのかと苦しみがあったのではないでしょうか、そこに行きつき診断された後の気持ちまで何か私には他人事ではないような気持ちになります。
今からでもその方と息子さんがありのままを受け入れ、少しでも気持ちが軽くなっていったら良いなと祈り願っています。
私も発達障害がわかってから色々な葛藤がありましたが、娘とのことは自分の心の中でひとまず落ち着くことができたのかなとやっと感じています。
このブログを続けてこられたのも、ちぃままさんのように理解してくださる方のおかげです。これから書いて行くことも重い内容ですが、ゆっくり向き合っていけたら良いなと思っています。
コメント本当にありがとうございます!