_ _

死産に関する記事ですので、苦手な方は読まないでください。

この記事は「常位胎盤早期剥離で死産(1)」の続きになります。

出産予定日まで後1ヶ月で起こった腹痛。出産準備セットを持って出産予定だった産院へ向かう。

寒くて痛くてどうしようもない。歩くのもやっとな感じだ。

頭の中はパニック。自分に起きていることがさっぱり理解できない。私の体はどうなっているのか。これはやっぱり陣痛じゃないらしい。お腹の息子が大丈夫か、そればかり気になった。

半分は、半分以上はわかっていた気がするけど、「信じたくなかった」。

常位胎盤早期剥離で死産(2) 出産予定だった産院から救急車で大学病院へ

腹痛が始まってからの胎動は、あんまり感じていなかったような気がする。

胎動のことまで頭がまわらないほど、パニックになったし、痛みが治まるのをひたすら祈っていた感じだった。

車の中で、お腹が少し動いた気がして、お願いお願い生きていて、って必死で祈った。姿も見たことがない、存在すらわからない神様みたいなものに、これ以上ないくらい祈った。

だけど叶わなかった。

産院につくと、私の顔色を見た助産師さんがびっくりして近寄って体を支えてきた。

大丈夫?歩ける?と声をかけてくれ、もう体が冷たかったのだろう、私の手を触りびっくりしてすぐさすってきたが、あの電話の人だな、と声で気がついた。

もう顔が見られなかった。多分心理的な何かで見られなかった。

すぐ診察室に通され、夫とは離れた。

お腹にエコーをすぐしたと思う。

それをした助産師さんか看護師さんかが、青ざめてパニックになって「心音が確認できない」「心臓が動いていない!」みたいなことを何度か言っている。

私はそれを聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。

わかったけど私の周りに集まってきた看護師さんに聞いた、赤ちゃんは?赤ちゃんは?って2回くらいはその場で聞いた。だけど、周りの看護師さんたちは皆暗い表情でうつむいて答えはくれなかった。

ゆっくりして聞いている時間は全くなかった。エコーの結果で周りが一段とバタバタし始めた。

私は何かに乗せられた気がする。ガタガタと更に産院の深いところに連れて行かれたと思う。もう、頭が真っ暗になってからは痛くて痛くて、周りをキョロキョロ観察する余裕なんてなかった。

何が起こっている?赤ちゃんが死んだ?私のお腹の中で?いつから?なんで?なんでこうなったの?何が悪かったの?

痛みに耐えながら頭の中でぐるぐる考えた。

連れて行かれた場所で、皆私の周りでバタバタしている。

男性が見える。私に今すぐ来た方がいいと言ってくれた人だ。おそらく責任者=院長だとわかった。

私を確認し、その場にいる人に大きな声で言った。

「胎児死亡、母体が危険なので救急で搬送します」

そして電話をかけに行った。

焦った口ぶりから一刻を争うのが伝わってきた。赤ちゃんが死んだ、それだけではないらしい。母体が危ない!と。

ぼたい?ぼたいってなんだ?ああ、私か。私も?私はこのまま死ぬの?どうなっている?

その前の胎児死亡っていう言葉が頭にショックすぎて、何も考えられないような、信じられない気持ちになった。

私の名前年齢を叫ぶように電話で伝えている、その声の中にまた「胎児死亡」って聞こえた。

まだ、信じられない。赤ちゃんが、ずっと一緒に過ごしてきた赤ちゃんが死んだなんて。

いつの間にか服を着替えさせられていて、点滴をするように指示を出された看護師さんが必死に私の左腕に針を刺そうとするのだが、刺せない状態が続き、何度も何度もチャレンジしている。

本当なら何度もチクチクされるのは痛いはずなんだけど、何故かその痛みはほとんど感じなかった。それよりお腹の方が痛かった。

私の反対の腕をさすりながら、あの嫌な電話対応をした助産師さんは「寒いわねー、痛いでしょう、大丈夫?」等と媚を売るように私に声をかける。

周りの女性看護師助産師さん達が青ざめて見守っている中で、彼女だけちょっとおかしかった。こんな場所で、周りに聞こえて感じが悪いことを、普通に私の目の前で聞こえるように言っていた。

「これってお腹の中で赤ちゃんが血だらけになっているってこと?」とか、
「今日ってこういう日なのかね」って言うのも聞こえた。

信じられない、あまりにも配慮のない言葉だった。私がもう死ぬかも知れないからどうでも良いのか?

「今日ってこういう日」ってことは、私のような死産か他にも流産された方がいた(いる)ってことか、今いる場所には奥に他にいくつかベッドがあったけど、そこにいる人の気持ちも考えろよ!と心の中で思った。

その声の度に周りは彼女を無視していた、困っていたようにも感じた。彼女だけが完全に浮いているのが私にはわかった。

年齢も周りよりいっている感じだし、ベテランなのかもしれないが、周りで働く人もこの人には苦労しているだろうなと途切れそうな意識の中で感じていた。

そして救急車が迎えに来るまでの雑談の中で彼女は私にはっきり言った。

「そんなに痛かったのなら言ってくれれば良かったのに」

耳を疑った。その時ばかりは私は怒った。普段他人に対してむやみに怒りをぶつけることはない人間だと自分では思っているけど、あまりに悔しくて心の底から怒った。

「何回も痛いって言ったじゃないですか!」

取り合ってくれなかったのはそっちだろう?痛いって言っているのに、そんな人はうちにはかかっていない、明日は休みだからあさってにしてってめんどくさそうにひどい言い方をしてきたのはそっちだろう?

こんな状態でも反省どころか、私のせいにするなんて。こんなので死んだら死んでも死にきれない!と思った。絶対死ぬもんか、絶対!と痛みの中で心から思った。

私の点滴針はなかなか刺さらない。そんな気まずいやり取りの中、必死で刺そうと頑張ってくれている。

あまりに時間がかかるので院長が、いつまでやっているのか、早くしないと手遅れになるぞと発破をかける。

私は言い返した後はもうその場では話さなかった。ただ、怒りと痛みに耐えた。

そうこうしている内に救急車が来たらしく、私はガタガタという音と共に運ばれた。

救急車の中には夫と駆けつけた母と、院長が一緒に行く、と搬送先までついてきてくれることになった。○○大学病院に行くという。今まで行ったことのない病院だ。

なんとなく夫と母は涙ぐんでいるような気がしていた。が、あんまり顔はもうまじまじとは見られなかった。

赤ちゃんが死んだ?、信じられない、私も死ぬの?これは現実か?そしてあの言われたひどい言葉がズキズキする痛みと一緒にグルグルまわる。

救急車の中で院長に少し話をした、痛みの記憶の方が勝っていてあまりはっきりは覚えていないけど、こうなるまでの経緯を少し話した気がする。

お腹が痛くなったこと、最初は便秘かと思ったこと、治るかと思ったのにそうではなかったこと。

電話で何度も言ったのに取り合ってもらえなかったことを話すと、「自分には声を聞いて普通の腹痛ではないのがすぐにわかった」というようなことを言われた。

あの人が電話の対応をしていたこともひとつの運だったのか。院長もおそらくひどいやりとりだったのはわかってもらえたと思う。でも最後まであんなひどいことを言われて、あの助産師にはとても頭にきたまま痛みに向き合った。

もう痛くて痛くて、どうにもならなかった。真上に向いているのが苦しくて、横に向いて寝るんだけど、左右どっちだったか、向くとすごく痛くてたまらなくて、向きを変えたりしていた。

あの時の夫と母の気持ちを考えると辛い、生きた心地がしなかったと思う。

救急車は無事大学病院に着いた。また激しい痛みの中ガタガタと運ばれた。どこにどう着いてどうなったか、全然わからなかった。

夫と母が私に声をかけてくれた、もう耐えられないほど痛くて、頷くので精一杯、顔はずっとしかめっ面だったと思う。

周りがざわざわとしているところに運ばれた。多分あれは手術室だったんだろうな。

説明を受けたんだと思うけど、もうその時の記憶がほとんどない。耳の後ろにヘアピンが付いているので取って欲しいと伝えたのは覚えている。

もう痛くて自分がどういうことになっているのか良くわからなくなったところに、目の前にメガネの男性の顔がバッと現れた。

今から全身麻酔をしますから意識がなくなります、と言う。私の顔に黒か濃い緑?の布のようなものをかぶせてきて数を数えられたような記憶がある。

その最中にも、赤ちゃんが死んだのに意識なんかなくなるもんか!こんなに悲しいのに意識がなくなってたまるか!死んでたまるか!絶対絶対!と心で思った気がする。

意識なんかなくなってたまるか!とあんなに強く思ったのに、私の思い出せる手術前の記憶はそこまでで、真っ暗になり、無になり、途切れた。

(3)に続きます。