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死産に関する記事ですので、苦手な方は読まないでください。

この記事は
「常位胎盤早期剥離で死産(1)」
「常位胎盤早期剥離で死産(2)」
からのの続きになります。

絶対意識なんかなくなるもんか!と強く強く心で思っていたのに、そこで意識が途絶えてから何時間経ったんだろう?

ある時ふっと目を覚ました。

目に入ったのは白い天井。


常位胎盤早期剥離で死産(3) 危篤状態から目覚めて

意識が戻った時に見えたもの、白い天井、そしてぼんやりと夫の顔と母の顔。

自分がどうなっているのか全くわからない。

事情を話そうとする、なんでこうなったのか、前の産院で受けたひどいことも。

だけど苦しい。何かと思ったら口には酸素マスクがついている。

意識が戻ったと、皆の安堵の顔。目が赤い感じがする。

今何時なんだろう。

ぼんやりしていた意識が少し戻ってくると、自分の今の状態が少しずつ見えてきた。

頭の上にはピ、ピ、ピ、という心電図がある、ドラマで危篤になった人がつけているあれだ。

両腕には管が通されて天井に向かってそれぞれいくつかの透明のバッグみたいなのがぶら下がっている。

自分でトイレにも行けないので股にも何かついているらしいこと。

両足には膝下まで白い空気でプシューっと圧をかけてくるものがついている。

体の感覚はまだ麻酔から醒めたばかりで何も感じない。

話そうとするのに喉が痛い。手術の時に管が入っていたらしい。

かすれた声で少し話した気がするけど、何を話したか記憶がない。

何か看護師さんが尿が出ないし、輸血の関連で体にショックや血栓がつまったりする可能性もあり、まだまだ危険な状態だというようなことを話していたのを覚えている。

夫も母も不安そうだった。

確か17時過ぎくらいにこの病院に到着したような、そこから5時間くらい手術にかかったらしい。

私の手術の間、一緒に救急車に乗っていた産院の院長がずっとついていたらしい。

夫を励ましてくれたらしい。

夫はそのことに感謝していた。

私は産院のあの助産師にものすごく腹が立っていたけど、それはあの個人がああだっただけで、皆悪い人なわけじゃないんだと思った。

ああいう人を雇っているという監督責任みたいなものには疑問を感じたが、わざわざついてきてくれて、夜遅くまでいてくれたことには感謝しなければと思った。

夫と母はとても心配しつつも、夜も遅いので一度家に帰っていった。また明日来てくれると言って。

自分も辛かったけど、家族の気持ちというのを想像してみるとそれはそれは胸が張り裂けそうになるな。

でもその時は自分の今の事態を理解することに精一杯だった。

誰もいなくなって、静かになっても、私は眠れなかった。

白くて窓のない部屋の天井をずっと見つめたまま動けなかった。

私の様子を見に来る看護師さんが眠れないですかと心配してくれた。

しばらくして、看護師さんがガラガラと何かを運んできて、そっと私の枕の右側に置いてくれた。

死んだ息子だった。

初めて逢えた息子、この時の私の気持ちの表現が難しい。

今も書きながら涙が溢れ、腹筋が振動している。

とっても嬉しかった。

ずっと9ヶ月お腹の中にいて、ずっと逢いたかったから。

どんな顔しているんだろうってエコーの写真を見てもどかしい思いでいたから。

タオルでくるまれた初めて見た息子の横顔は眉毛が立派に生えていて、凛々しい男の赤ちゃんの顔だった。

嬉しさと悲しさがこみ上げてきて、顔を見た瞬間から涙が止まらなかった。

看護師さんは私を察して、息子と二人きりにしてくれた。

顔を少し息子の方に向けるくらいしか動けなかったけど、話しかけた。

「ごめんね、、ごめんね、、」

想いが後から後から溢れて、でも口に出る言葉はそれしかなかった。

妊娠中にたくさん話しかけたこと、二人で一緒にいた場所、歩いたところが頭の中を走馬灯のように駆け巡った。

体が自由に動けば抱きしめたかった。

でも、できなかった。

とても嬉しくて、とても悲しかった。

しばらくして看護師さんが息子をまた霊安室に連れて行った。

その夜はずっと眠れなかった。

ただひたすら、天井を見ていた。