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死産に関する記事ですので、苦手な方は読まないでください。

この記事は
「常位胎盤早期剥離で死産(1)」
「常位胎盤早期剥離で死産(2)」
「常位胎盤早期剥離で死産(3)」
「常位胎盤早期剥離で死産(4)」
からの続きになります。

息ができない。苦しい。

息ができない。

息が吸えない。

苦しい。

常位胎盤早期剥離で死産(5) 死を覚悟してメールした夜

入院自体が初めてで医療については無知過ぎた私。

ベッドがボタン一つで自動で背の部分が上がってくることも、ナースコールがあることも全然知らなかった。

だけど、誰もいない。苦しいのに誰もいない。

こんな時はどうすればいいのか、、あ、なんか昔テレビでボタンみたいなのを押しているのがなかったっけ?

体が動かない、寝返りすらうてない。

首を左右に向けてみた。

あった!

苦しい。早く誰か来て。

管だらけの手でナースコールを探り当てボタンを押す。

すると夜勤であろう看護師のTさんが来てくれた。

私は訴えた。息ができなくてとにかく苦しいということを。

Tさんはすぐカーテンの外に行って若い男性医師を連れてきた。

それはI先生とは違う、初めて見る先生だった。

どんな風に私の体を確認されたか憶えていないんだけど、彼が言ったのは

「呼吸をゆっくり吐いてください、吐けば吸うことができます」

完全にパニックで過呼吸になったと思っているみたいだった。

吐いても苦しい、苦しい、やっぱり息ができない、と訴えても、ゆっくり息を吐いてくださいの一点張り。

しかも私のカンではTさんとその先生は恋仲なような気がする。苦しくて死にかけなのにどうでもいい情報が頭を駆け巡る。

お願いだ、息を吐く以外にどうにかしてくれ、私はパニックになどなっていない、苦しい苦しい苦しい。浅くしか息ができない。苦しい。

もう駄目だ。

この人にはいくら訴えても駄目だ。息を吐け、吐けば治るとしか思っていない。

苦しいと訴えても私はもう選択肢がない、自分では動けない。後生だ。

携帯を手に持って夫にメールする。

一度死にかけて、助かった。

一旦は山を越えたと思うと、生きることへの執着って出るんだなと思った。

内容はもう余裕が全然なかったはず。記憶では。

「息ができない。夜勤の医師に訴えたけどわかってもらえない、このまま死んでしまうかもしれない、だとしたら無念だ。心配かけてごめんなさい」

みたいな内容だったかと思う。

本当に苦しくて切羽詰っていた。

朝を迎えることができるのか、っていうくらい苦しかった。

Tさんは仕事で部屋から何度かいなくなるものの、ちょくちょく私のところに来て心配そうに見守ってくれた。

苦しくて眠れないまま朝になったらしい。

カーテンの外がざわついてきた。

私は苦しいままかろうじて生きていた。

息をゆっくり吐けと言われたのでその通りにしたつもりだが、一向に良くなったと感じないまま浅い呼吸で朝になった。

カーテンがぱっと開いて、I先生が入ってきた。

最初に見た先生は瓶底メガネの方だったが、それはあの時だけだった。あの時はレアだったんだな。先生の優しく頼りがいのある顔と声に苦しいながらも少し安心した。

救いの神がやってきたように感じた。

先生に訴える、夜から突然息ができなくなったんだと。今も苦しいんだと。

すると、先生はエコーを私の腹やらに当てて、何やら調べだした。

その後、周りの看護師さん達に向けてきりっとした顔で言った。

体にガスが溜まっています、(薬の名前っぽかった)を使いましょう!

ガスか、、

そうだったのか、道理で苦しかったんだ。

多分肺も相当押しやられて、運動もできない動けないもんだから、オナラすら出せず、風船みたいになっていたんだなと想像した。

さすがI先生!と思った。息を吐いてもどうにもならないのはこういうことだったのか。

本当にこの先生はすごいと思った。

私が生きていたのは彼があの日の手術の担当だったから。こんなに人格も知性も兼ね備えた医者にはなかなか巡り会えないだろうと思った。

とにかく感謝した。

I先生の判断のおかげで、私は死なずに済んだ。

あんなメールをしたもんだから、もう私が危篤だと思って、夫が急いで駆けつけた。

私は生きていた。

ガスだって、と言ったら腫らした目をニコッとさせて、ホッとした表情をしていた。

ガスを溜めないためにも少しでも足を動かしたほうが良いとのことで、ゆっくり左右に動かしてくれた。

I先生の薬のおかげと少しの運動のおかげで、私はまた息ができるようになった。

その日の午後はあまりに眠くなって、落ちるように少し眠ったような記憶がある。