子育てで思うに、時を逃しては意味のない注意というのがある。
例えば、まだ交通ルールのわからない子供が、赤信号を今すぐ渡りたいと言いごねられ暴れた時。
実際、車がガンガン走る道に飛び出そうとした時。
「いいよ、いいよ、渡りたいんだよね~」と渡らせる親がいるか。
命に関わること。それに対して、その時に厳しい態度で叱り、教えていかないと、これは危険なんだ、これをすれば命がないんだとはわからない。
命がなくなれば、2回目はない。
もう一度赤信号を渡りたくても、その命がない。
本気で叱るべき時に、叱ってもらえないことは子供にとって不幸だ。
命を粗末にすることだ。
わからないから、結局何度も繰り返す。
教えることを放棄し、私がやらなくても誰かが代わりにやってくれるだろうと期待しても無駄だ。
そこに本当の愛があると言えるだろうか。
愛があれば、生きて欲しければ、その時を逃さず、鬼になっても教えることが必要だ。
子供の命のためだ。
この世界に一人きりで生きるなら、交通ルールも赤信号もない。
好きに生きればいい。
人として、ひとりの人として生きていけるようにするのが子育てだ。
そのために命の危険があることは、どんな子供の理由があっても、その時にきちんと叱ること。
理由をつけてその時を逃せば、車に向かい走る子供の命はない。