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混んでいる駅の中、満員電車、そこにたどりつくまでに、人は人を見失うように思う。

それがまるで障害物のように思っている人が多い。

人を障害物だと思うと、自分も人にとって障害物になる。

私はこの間、娘にちょっとしたイライラがあって、衝動的に何か文句を言いたくなった。

それで、娘に思い切り顔を向けて、

お前の母ちゃんでーべーそー!!

ってイーッとした顔で言ってやったんだ。(昭和の子供か)

そしたら、それを見て聞いた娘が、またこの人おかしなこと言ってるよ、困った人だな、みたいな顔をして、

「ママ?、私のお母さんはママなんだから、それだとママが出べそってことになっちゃうよ?」

ピーンポーン!ピンポンピンポンピンポン!大正解!

娘よ、良くわかってるじゃないか。
そう、そういうことだよ。

それで更に、先日娘が持って帰ってきた、小学校での何かの課題を見て、かわいくて爆笑しながら感動したのよ。

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自分で「くわしくのってる!」って吹き出し入れてあるのがまず独特すぎてウケたんだ。「アリのそだてかた」

中身が良かったのよ。

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おうち つちのなか イメージ イラスト
入りぐち 入りぐち
さなぎ じょおう エサ たまごへや

なんかじょおうの絵、切ない。

きもち(はーと)
ふんづけられないように、アリもがんばってるよ。
たまたまならしょうがないけど、
わざとはやめようね。

イラスト

アリ「いやー!」

す、すごい。ちゃんとわかってくれてるじゃない!

これ、私昔、少し悩んだことあったのよね。

虫の生態に興味があれば、それを壊すことをする人は一定いると思う。だってその方が虫を誰より深く知るからね。知るというのは愛と同じだから。

以前、自然と全く触れあったことのない人は自然に興味を持たない=破壊されても何も思わない的なことを書いたことがあったと思うのだけど、あれと同じ。

花を摘んだり、葉をちぎったり、汁を吸ったり、香りを嗅いだり、種を分解することは、最終的には自然を愛する気持ちに繋がると思うの。それと同じ。

それは、物だと思っているのとはまたちょっと違うんだよね。「楽しむ学ぶ」その気持ちがないと、全然違う意味合いになる。

ただ、殺す、だけになる。ただ、命を奪うだけになる。

娘が小さな頃、公園で遊ぶことができないくらい虫が嫌いな女の子がいて、アリももちろんダメだったのね。

悲鳴をあげ、大泣きしながらパニックになるので、もう外では遊べなくて、お母さんもイライラしてヘトヘトになっていた。

外には虫がいて当たり前なのね。だからこその悩みなのよ。生活に支障が出るの。

それで、そのお母さんが最終的にとっていたのが、娘さんが泣き出す兆候が出てきたら、泣かせないためにとにかくアリを踏みつけて殺すことだったわけ。

あれを初めて見た時はびっくりして、心の中で複雑な気持ちになった。

はいはい、虫虫、アリアリ、って言いながら、片足でアリをバンバン踏む。それでも長くは遊べないから、すぐ帰宅、こんな風だった。

私は色々思いながらも、文句も言えず、ちょっと苦しかった。

少し成長してから、会った時、娘さんも一緒にアリを踏むようになっていた。

それを見て、うちの娘も、友達をアリから守りたいと思ってたのだと思うけど、真似するようになった

その内、その友達がいなくても、アリを踏みつけている時が出てきて、我慢ならなくなり、私は娘に説教した。

無意味な殺生はやめろというような話をした。
アリだって生きている。娘がアリならどうか?と。

こんなに体の大きさの違うものに、当たり前に潰されて、ただアリは何もせず通りかかっただけなのに、何故殺す。

あの親子の真似か!?私は黙っていたけど、安易にそれをして欲しくないんだと。見ていて不快だと。

娘はあの時、幼稚園の年中くらいだったかな、その説教がちゃんとわかっていたかはわからない。

わかってる。そのお母さんの辛さも、その子の繊細さも。

外に行けなくなるような毎日のパニックじゃ、あまりにも不便。頻繁な泣き声だけでも辛いのだし、アリという相手も自然のものだからどうにもならないし、お母さんだってもともとはアリにそうしたかったわけじゃない、そんな人ではなかったのもわかってる。

でも、私が一緒にしたわけでなくても、娘が真似し始めた。

どうすれば良かったんだろうね。

説教したけど、しばらくは癖でやっていたよ。何回でも私は見れば同じことを言ってきた。

気がつくとその行動、見なくなったな。

あれから二年か。

この「アリのそだてかた」の「きもち(はーと)」の

ふんづけられないように、アリもがんばってるよ。
たまたまならしょうがないけど、わざとはやめようね。

私の言ったこと、ちゃんとわかってくれたような気がして、笑いながらとても嬉しかった。