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私が幼稚園年長で嫌がりながらも役員になったのは、読者の方が残っていらしたら知っていると思う。

あんなもの誰がやりたいか!?と文句言いながら、結局誘われて、断れなかった。

やるとなったら、私はやる。

ついでにおかしいと思ったら、どんどん切り込んで方向転換もする。一緒に私と係をやってくれる人は大変だし、同じ役員の中でも毎年そのままただやればいいだけなのに、何面倒をやろうとしてるのか?と思う人もいたと思うが、私は人がやらないことを提案した。

それは、自分達母親に現代あまり求められていないのに手間だけかかることの廃止に向けての活動だった。

あれ?!今やろうとしていることとあまり変わらないね。

でもそれを提案してみても、誰も反対はなかったが、役員以外の普通のお母さん達の中ではやりたい人もいたのだろうと思う。

私と違い、そういうことが嫌いじゃないタイプ。努力ができるタイプ。参加大好きなタイプ。だったらなんで役員やらないんだよ。例え、役員以外の出席が20人と少なくてもやりたい人。パワフルだなと。

そういう人には私は多分評判悪い。私は特別にやろうとしていること以外、足並みなんか揃えるな、いらなくなった従うだけの既存のものは壊せみたいな感じだから。

で、伝統をひとつ壊してやめた。

それに向かうまでも、先代までの意見を聞き、周りの意見も聞き、資料を作り、園内アンケートを取ろうとし、園長と直談判し。ただやめるという気持ちだけでなく、リサーチし相談に相談を重ねた。かなり大変だった。

伝統を終わりにすることの難しさ。ましてや、園長は私より人生の先輩だし、今の時代がどうあれ、これまで続けてきた人々の努力はどうなるのかと叱られた。

私は喧嘩腰にはならなかったが、根気よく問題を提起した。きっと園長のような人には納得はいかないだろう。ただ、そのままいつも通りにやれば、やった風にすればいいのに、何故それをやらず、わざわざこんな話をするのかと思っていたと思う。

結局、今年はやらないでいいということになり、来年は来年の役員に考えてもらうことになった。

園長と話せたことで、私は人柄も感じ、積極的に話しかけるようになった。

彼が芝に水をまいていれば、そこまで行って挨拶し、天気のことを話したり、園長も私のことを認識してくれるようになった。

不思議と、皆園長を避けるが、私は話しができるので、見つけると向こうもさりげなく声をかけてくれるようになった。

園長は孤独だったのかもしれない。

互いに意見は違ったし、私たちが選んだのは、やらないという不本意なものだったにも関わらず、私は園長と役員の中でも親しくなったと思う。

卒園する時、お世話になった先生方に手紙と娘と手作りした花の工作を渡した。私が三年見ていて、この人は人格者だなと思う先生にも接点はあまりなくても感謝の言葉と共に渡した。え!?私に!と驚かれた。

職員室の事務の先生が、なんとなく表情に陰りが出ているのをわかっていた。職員室の空気は何故かいつもかたく、輪がうまくいっていない印象をずっと受けていた。

その方はいつもとても丁寧で、笑顔が素敵だなと思っていたのに、その笑顔もだんだん曇るようになっていた。モチベーションの低下を感じていた。

だから最後に娘の牛乳券を買った時、◯円です、と言われてお金を渡す時、小さなカードに「いつも素敵な笑顔に助けられました 本当にありがとうございました」と一言書いて、お金と一緒に無言で渡した。

そしたら、カードを見て、「え、、?え、、なにこれ、、」と、思わず私を見た目は潤んでいて信じられないといった風で、とても嬉しそうな、なんとも言えない感動をした驚いた顔をしていた。

私はその表情だけで満たされて、にっこり笑い返し、牛乳券を受け取り、そのままありがとうございますと言って、去った。

お迎えの時、担任の先生が、事務の先生が本当に喜んでいた、ありがとうございますと言ってくれた。その後、丁寧な感謝の手紙をいただいた。

園長にももちろん渡した。自分が書いた内容は忘れたが、園長は素晴らしい水彩画の絵が入った手紙をくれた。すごく絵がうまい人で、子供の頃は絵描きになりたかったが、親に男が絵描きなんて金にならないようなことを言われた、なんて話も役員会で聞かせてくれたのを思い出した。本当に素晴らしい絵で、私も娘もわざわざ私たちに時間をつかって描いてくださったんだと感動した。

何か、やろうとしたことの意見が、例え違っても、人間同士としてはかなり近くまで行けたような気がした。多分、園長にも私がただ面倒だからという個人的理由でやめる改革をしたのでないのが、伝わったような気がした。

人間同士、意見の違いがあるのは当たり前。だけど、意見が違うからといって、その人の存在自体も同じに切らず、その胸の内を尊重し、存在を認めてもらうことができたのが幸せだった。

やったことは前代未聞でも、心の繋がりはとても大切にした思い出。