私はこの歳になって、自分が色々相反した面を持ち合わせていて、相当面倒くさい人物とわかったので、娘のことはとやかく言えないなあと思っているのだけど、やっぱりうるさく言ってしまう日もある。
でも、かわいいものはかわいいので、私の機嫌が良い時は、相当おかしな母である自信がある。
それは、機嫌の良い時限定である。
限定という言葉に人は弱い。
そう、「今だけ!」っていうのが、何かの意欲に繋がるのだ。
今だけ!限定価格!
今だけ!特別価格!
今だけ!限定カラー!
今だけ!超ミニスカート!
今だけ!ロングヘアー!
なんだかおかしな方向に向かっているので、ここでやめなければ。
森高さんはあれから全然オバサンにならないのに、私ときたら、、という暗黙の鬱が急に襲ってくるではないか。
限定はまたすぐやってくる。
限定で買いだめしたのに、終わった瞬間、新たな限定に心惹かれているのだ。
買いだめしたのに、今の限定もまた買いだめしたくなるのだ。
私の娘への限定もすぐ終わり、またすぐやってくる。
それって限定なのか?
全然限定じゃなくね?
まじうぜーんだけど。
どこでそんな言葉を覚えてきたの!?そんな子はウチの子じゃありませんっっ!
と言いたいのだけど、そんなかわいい幼い顔でそんな言葉をつかわれちゃったら、それはそれで堪らん!と思って、チューの助走に入ってしまい、思いっきり叩かれるのだ。
いつからママをそんな風に叩くようになっちゃったの!?そんな子はウチの子じゃありませんっっっ!!
と言いながら、吸い寄せられて、ねえー怒ってるのー?ねえ、ねえー、ねえー!ねーえーー!!と顔を擦り寄せてやってしまって、更に「もう来ないでよー!いい加減にして!」などと本気でウザがられてしまうのだ。
当たり前だ。
その拒否がまたかわいいと思うのだから、相当おかしい。
機嫌が良い時の限定とは、すごい威力だと我ながら思う。
例えば娘に「見て!」と指をさされたら、必ず娘の顔に3センチくらいまで近づいて目を覗き込む。
「こっちじゃないよ!あっち!!」と無理やり顔をむこうに向けてくれるのがかわいい。
私はいつだって、見て!って言ってくるあなたが好きなんだよ!あっちよりこっちが好きだから、そんなに怒らないでよと思う。
だいたい物を持ってきて「見て!」って言ってくる場合は、私の顔に近付け過ぎるんだよ!そんなに目の前に持ってきたら、なんにも見えないじゃないか!それがなんなのかわかるには多少の距離ってもんが必要なんだよ!そんな目の前3センチで見せられてもなんだかわからないじゃないか!!
って、あれ?私の覗き込みと同じじゃないか?
しかし、ものというのは、至近距離で見た時と、遠くから見た時と、程良い距離で見た時と、見え方は全然異なるものだ。
かわいいものはどこから見てもかわいいのだ。
じゃあ、自分にとってそこまでかわいくないものはどのあたりから見たら、かわいくなるだろうか。かわいいなと思えるだろうか。
やっぱりその対象によって、その時によって、良い距離悪い距離っていうのはあるよなあと思う。
自分がノロにかかって気持ちが悪い時に、目の前にホルモン焼きを持ってこられても、いくら好きでも食べられないし、好きだったのに嫌いになることだって考えられるのだ。
普段なら、全然食べないお粥だって、具合が悪い時は涙が出るほどおいしかったりする。
その時その時の距離というのは、大事なことだよなあと改めて思う。
私が娘にそれができるのかは別として。
そこは別にしないでよ!っていう、強烈なハリセンがとんでくることは間違いない。
今から防具を装備しておこう。