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謝るポイントが似ているかどうか、笑って話せるかどうか、これもママ友になりたいか考えた時に私には重要です。

先日書いた、
私がママ友になりたいと思う人のポイント

①挨拶ができる
②謝るポイントが似ている
③笑って話ができる
④しょっちゅう家を行き来するような付き合いになりそうに無い人

まず、これの②になります。

謝るポイントがずれていると、ストレスが溜まります。

例えば、足を踏まれたとして、その時謝らなかったり、そこに足が出しているからだよ、みたいな考え方だと、私は到底一緒にはいられません。

子供同士遊んでいる時に、そういう、今私なら謝るなあ、とか、なんでこういう時に一言もなく無視するんだろう?とか、たまたまでなく、頻繁に感じるならば、一緒にいても自分が我慢するばかりになります。
そういうズレがあると、価値観が違う、というか、相性が合わない、ということを考えます。

私は結構、何かにつけて謝ることや感謝の気持ちを伝えるタイプの人間ですが、逆の考え方で、謝りすぎ、感謝しすぎの人は嫌、という感覚がもしかしたらあるかもしれません。
お互いがそういう気持ちの人で、親しき仲にも礼儀ありがなくても、自分のテリトリーに裸足でいつでも入ってきてもらって大丈夫、水臭いのは苦手、っていうのが、お互い図々しい!って思わずに続くのであれば、それも考え方、感覚が近い人なのではないでしょうか。

そういう感覚が一緒にいて近い人、自分の謝るポイントが似ている人でないと、気持ち良い付き合いってできていかないと思います。

そして、③の笑って話ができるか、これも似たような感じなんだけど、会話が弾むかどうかに関わってきます。

一緒にいて、シーン、、、としてばかりのママとは長時間一緒にいるのが苦痛になってきます。
悪い人ではないのだけど、話していて何気ないことで笑ったり、その笑うポイントがかなりずれていたり、そもそもあまり笑顔もなかったりするようでは、会話が続かないし、連絡先交換してまでママ友になりたいとは思えない。

笑うっていうのはストレス解消にもなるんだそうで、それは私も実感があります。
本当に会話が弾む人って、いくら話していても、不快感がない
だから、自分もその人に会うと自然に笑顔で会話できる。

そして何気にプラスアルファで書けば、共感力ってとっても重要だと思います。

それも笑って話ができるか、に関わってきますが、何か子育ての悩みを話した時に、もし、自分がわからないことでも、そうなんだ、大変だったね、大変だね、ってちゃんと聞いてくれる人と、うちの子はそんなことないんで、みたいに遮断というか、突っぱねてくる人とは話す感覚が違います。

うちの子は違うからわからない、って確かに、もっともな話なんだけど、本音かもしれないけど、会話という点で考えると、私はそういう遮断のする会話の人とは笑って話せなくなってしまいます。
それ以上も以下でもなく、子育てのことを話せなくなってしまう。

育てている環境も子どもの気質も全く同じではないのは皆そうなんだけど、そこで聞いてくれる姿勢がない人とはお話になりません
聞いてくれる姿勢がないとすると、共感してはくれない人、ということになります。私の中で。

悲しいことがあって話した時、私は今悲しくないから!って言ってきた人が、後から悲しいことがあって打ち明けられても、心から気持ちに寄り添ってあげたいとは、私は思えない。そんなに心が広くない
だから、自分が笑って自然と話せるような空気を持った、共感力のある人でないと、私は長続きしません。

それは、自分の感覚なんだけど、そういうズレがないかどうか、まず一人の人間として向かい合った時、ママ友という付き合いを考えた時、重要視しています。

それでもね、合う!と思った人でも、付き合っていくうちに何かが重荷になったり、やっぱり違ったかも、ってこともある。
それは違う人間だから仕方ない。だって、完璧な人なんて絶対ありえないから。お互い完璧はないと思っているから、そこで更にうまくやっていけるか、ってそれだけ。

でもやっぱり言えるのは、謝るポイントが似ているか、笑って話ができるかが、初めから合わない人とはやっぱり付き合っていくのは難しい。