噂というのはどこにでもある。
あれが良いらしいよ、あれは悪いらしいよ。
あの人ってこうらしいよ、とか。
人間、誰しも噂をするし、噂になる人もいるし、まあそれ自体はそこまで悪くない。
一番悪いのは、人の噂をさも自分がされたかのように悪く広める人。
人の輪において、それはちょくちょくあると思う。
人が輪になるのは別に悪くないけど、問題なのはその噂に対しての心のあり方。
ここにも心の軸が必要なんだ。
人の輪を大切にするのは悪くない。
いつも正しいことばかりを突きつけて、波乱を起こすのは簡単だから、人として生きる以上、その出た噂に対して表面上同調することがあっても良いと思う。
話を合わせる、その場では合わせる。それは別に悪くない。大人なら尚更だろう。
だけど、話を合わせたからといって、心の軸まで合わせる必要はない。
自分の目で耳で心で感じ確かめることが大事で、向こうから来た噂に簡単に流されてはいけない。
どんなに川の流れが早くなっても、根がきちんとはられた木は簡単に倒れない。
惑わされずに、公平を貫くこと。そう接してみることだ。
経験の上で、思う違和感なら仕方ない。でも関わりのない最初から×をつける必要もない。
その噂の人が本当に悪い人なのか、それは噂で決めるべきことじゃない。その噂を知ったけど、だからといって決めつけないこと。自分の軸で判断しなければいけない。
中学生の頃、私にある友達がこう言ってきた。
「◯◯さんて、~~らしいから付き合わない方がいいよ」
私はそれを聞いてこう返した。
「それ自分で確かめたの?その人のこと知らないのにそんなことを決めつけるのはおかしいよ」
中学生女子の友達ネットワークでこんなに空気の読めない人はいなかったのだろう、友達は私の冷たい言葉に顔に縦線が入って、口を開いたまま何も言い返せなかった。
今は大人なので、ここまではっきり言うことはないと思う。
それから私はどうしたかと言うと、そんな忠告をまるで無視して、その◯◯さんと普通に友達になった。
なかなか会うことはないのだが、実は今でもその方と賀状のやりとりをしている。文化的に趣味の合うとても繊細で心の優しい人だった。
私にとって、その噂というのは全く意味のわからないものだった。
その忠告してきた子も、私へ好意があったから、良かれと思って教えてくれたのだろうと思う。それはなんとなく理解できる。
でも、そんなもので、その◯◯さんと関わらない方が良いっていうのはあまりにも安易じゃないか。
大人になった今なら、そういう噂は笑顔で聞き流して、その噂の人にも普通に話しかけるだろう。いつもの自分で。
何か情報があっても、その噂をちゃんと自分の軸で判断することが大事。
結構ね、煙たがられる人にもすごく良いところがあるのよ。私はその良いところが好きだから、どんな人でもアホなことを言いながら近づく。すると、自然と仲良くなれる。皆もその内あれ?あの人そんな悪い人じゃないのかも?って関わるようになる。最終的には各個性がありながら、まるくなることが多い。
むしろ、その最初に悪い噂を広める人の方が肩身の狭い立場になることが多い。
簡単に流される人はもったいないです。自分の人生に出逢える人なんてたかが知れているのに、自らそれを狭めている。
当然可能性も狭まります。
人の輪を正論でかき乱せと言っているのでなく、ちゃんと自分で判断しているのか、そこに偏見はないか、そのことを言いたい。
これは今後、娘にもこういう世界が確実に訪れるから、伝えておきたいことだ。
狭い人間になるなよ。
自分はどう考えるのか、すごく大切なことですよね。
例えば嫌われてる子がいたとして、「みんなが嫌ってるから私も倣って」ではなく自分はその子のことをどう思っているのかが肝心ですね。
子供のうちはそれがなかなか難しく、特に私はみんなに合わせることに必死だったので、なかなか自分の軸を見出だすことができなかったです。
今の私はある程度人に共感したり、話を合わせたりすることはします。ですが、自分はどう思うか、の軸は考えるようにしています。
>私は当事者さん
素晴らしいです!自分がどう思うか、そのことに個性があります。
違うからと排除したり攻撃するのでなく、良いと思った部分は学び吸収し、違いについては自分の個を感じて見えにくい自分が見えてきます。
子供の内はまだ成長途中なので、軸はなかなか難しいです、私もそうです。色々な出来事から学んでそれをしっかりさせていければ良いと思います。そのために様々な経験は生きた学びになるのだなと感じます。
自分はどう思うか、の軸、それです!大事なことです。書いてくださって嬉しかったです。
コメントありがとうございます!