娘は、キューライスさんの漫画が好きだ。
私も大好きだ。
あのセンスが好きだ。
いつだったか、初めて娘に読ませてみたら見事にハマり、あの独特のきゃはははという笑い声があまりに多発しすぎて、読ませたことを後悔するレベルだった。こっそり録画か録音をしておけば良かった。あの笑い声かわいいんだよ。
私との共通の話題にもなるし、同じ作者の話で盛り上がれることは幸せだ。
キューライスさんのことを家ではキューさんと呼んで、ふたりで登場キャラクターになりきることもある。
実は随分昔、私もふざけてうさぎの四コマを描いていたこともあり、娘はそれからゆるい絵で、コメディタッチのウサギ漫画や、ころりん漫画をちょろちょろ描くようになった。
娘の発想は突飛だけど、私はそれが好きで、創作をどんどんやって欲しいと思っている。
この間黙々と描いていると思ったら、娘がこれを持ってきた。
キューライスさんのスキウサギとネコノヒーを自分なりに模してみたらしい。
笑、キューさんの顔が何とも言えない。
チョコフォンデュだったんだね。
なあ、シュール過ぎないか。
しかも、四コマじゃない、良く見たら五コマの方が多かった、、。
しかしこうして見てみると、一歩間違えると最悪な出来事とか、痛そうだし現実ではあり得ないようなことも、笑いに繋がるのだと考えさせられる。
いや、こういうのは真面目に考えてはいけないのだと思いながらも、実際自分がチョコフォンデュに顔をつっこんだり、パルメザンチーズみたいに削られる側だったら、たまったもんじゃない!となると思ったりする。
でもそういうことが、離れてみた時にはユーモアになり得るということ。なんだろうね、これは。
笑いに変換できる時が来ると、同じ出来事でも、また違う感覚で見ることができるということだ。
私は娘の独特な感性が好きだ。
昨日もらった手紙にも、「夜、デザートOKって言ってくれてありがとうね」とか、なんの脈絡もなく突然、ド、ド、ソ、ソ、ラ、ラ、ソ〜♪と出てきたと思ったら、「あ、ゴメン、手紙に鼻歌書いちゃった、、、。」、とか書かれていて爆笑してしまった。
本人にとってはそういう手紙が普通で、真面目に書いているから面白すぎる。多分必要以上に笑うと拗ねるから、笑いながらベタ褒めしている。本当はもっと笑いたいけど、半分は笑いをこらえている。
私の子供時代にはなかったセンスだ。結構シリアスなタイプだったから。自分の中にユーモアとか(見かけでなく)キュートな部分があるのを知ったのは、成人してだいぶ経ってからだったから。かなり笑いに対しては遅咲きなんだ。
だいたい何かを笑い飛ばせるようになるには、時間がかかるものだ。
自分自身や何か出来事の中にユーモアを見つけ、笑い飛ばすことって、すぐにはなかなかできない。
深刻であればあるほど時間がかかるのだけど、長くかかったとしても、笑いに変えることができるようになると、その後はすごく強くなれる。
笑いを考える、笑いを見つけるって本当にすごいことだ。
小さなことでもいい、笑いに変えていけることなら、見方を変えて、そうした方がいいなと思うことがたくさんある。
深刻な時はとてもできないけど、進んだその先に苦しみと涙しかないより、更にその先には笑いがある方がいい。
いいに決まってる。
だから、娘には自分で楽しいと思うことを見つけていってほしい。
それを実際やってみることはいい。
下手でもなんでもやってみて楽しいというのはいい。
それを受けとる側も、その心のいきいきとしたよろこびを感じ、見つけることが楽しい。
娘独自の感性、これからも親として大切にしたいし、たとえ他人と違っても、自信を持って、どんどん育てていってほしいなと思っている。