ペロペロキャンディーのその後

ペロペロキャンディーと書こうとして、ペロベロとなっていたのを見つけた時のいやらしさよ。

濁音になるだけで急に世界が変わるものだ。

ペロベロ、って。ベロの方は妖怪っぽいです。
ベムベラベロ。


名称が、ベロベロキャンディー
だったらだいぶイメージが変わりますな。

買いたくなる?怖いもの感じたさで、一口?

子供なら、1度は食べたいペロペロキャンディー。

ああ、ベロベロの想像から抜け出すのは容易でない。

ペロペロですよ。ペロペロ。

ここに書いたことがあった、あれ、いつだったかな。まだ小さかったなあ。言葉は達者だったけど。

ペロペロキャンディー買ってくれとしつこくて、私はそれに反対で。

ちょっとスーパーの中で離れた隙に迷子になって、その時、買って欲しかったペロペロキャンディーを手に握りしめていて、娘を見つけた時のその姿が衝撃的にかわいかったから、買ってあげた、ということがあって。

それで、その時は満足して舐めていたんだけど、大きすぎて食べきれないで、結局冷凍庫行きだったということがありましたが、その後どうなったかと言うと。

買ってくれと言わなくなりました。

そういえば、ペロペロキャンディー買って買って言われない。

自分で経験して、初めてわかるんですね。

色々私がこれがこうでこうだし、こうだからやめておきなさいと言うより、1度経験してみると、わかるんだなあと思ったわけです。

反対されるとますます欲しくなるのは人間の性ですかね。

手に入らないからこそ執着する。

わかります、私にもある。かわいくなりたいのに、全然なれないから、ダメ元で何度もチャレンジして、失敗します。似合わないと言われるものの方が、着てみたい、似合ってみたい!と思ってしまう。

例えば恋もそうですね、反対されると逆に盛り上がってしまったり。わかるわー、そういう周囲の反対を押し切って大恋愛した奥様もいらっしゃるのではないでしょうか?

その後、現実がわかると離婚とか、、それもそれで、なんだかわかるんですよね。

なんでもそうだけど、最初から答えがわからないから良い。
人生、初めから最後まできっちり現実だけがわかっていたら、ものすごくつまらないですよね。
すごろくですら、同じ道でも毎回同じ流れにならないのに。
やっぱり決まり切ったことには、夢とかロマンとかないんですよ。

経験して、そう感じた、その後があるわけで、変えられる可能性があるから良いのだと思うのですよ。

結婚だって、仕事だって、子育てだって、経験して初めてわかることはたくさんあるわけで。

全てが思い通りにいく人は挫折をしらないから、想定外に敵もたくさんいるのだろうし。想定外こそが敵なんだろうと思うの。

大人になると譲れない部分が増えるのも、色々経験したからこそ、なんですよね。

だからつい、子供(未経験なことばかり)対大人(経験過多)、娘対私みたいになるけれど、経験をすると、それを通してわかりあえるというのはある。

これは別にペロペロキャンディーをせめているのではなく、あれこそ夢とかロマンみたいな存在で、一度は食べてみたい!っていう魔法みたいなのがかかっている。人生を豊かにするための存在なんです。栄養云々ではない部分の存在です。

私たちはそういう魔法に夢をもらっています。夢があった方がいいに決まっています。売場が全部お堅い感じのお菓子とか、わくわくしないもん。

CMなんかもそうですよね?わざわざ下げることは絶対ない。これを使ってみたら、こんなに幸せになれそう、というアピールや、存在感をアピールする。

使ってみたら、自分にあっていた。食べてみたら、美味しかった。また食べたいか、食べたくないか、それは個人個人で違うもの。夢を手にしたくなる、それを実感して初めてわかる。

娘にとっては、あれ、なんとか食べてみたい!買って欲しい!と思った。
でもちょっと食べきれなかった、また是非買ってとも思わなかった。

こう、、ママが言っていたのはこれか、とわかるようになる。

私も馬鹿だった。口で四の五の言わずに、ペロペロキャンディーくらいべろべろさせれば良かったのだ。

そうしてみたら、経験者同士になるので、話が早くなる。わかりあえることがある。
もうあんなに一生懸命説得しなくてもいいのですから。

失敗しても失敗から学べるし、その方が話が早かったりします。

そういえば、あれからペロペロキャンディー買ってくれと言われないなあと気が付いた時、例え失敗するとわかっていたとしても、経験させないより、させた方が良いことはあるのだなあと、気が付いたのでした。

結論、ペロペロキャンディーは何も悪くない。

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