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産科医療の存続を願う 死産して訴えれば?と言われたが

私が死産した後、約一年間、人に会うことができなくなった。

毎日泣いて暮らした。激しく泣くと人の顔が変形するのを知った。

目も鼻の付け根もなくなった。鏡を見るのも嫌になった。

食べ物も受け付けなくなり、お腹の息子に話しかけながら歩いた産院までの道に行くことが難しく感じた。

近寄れなくなった。

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もがいて二月過ぎた冬の朝、早く起きて、少しでも朝日を浴びながら歩くことにした。

わずかな距離でも息が切れた。光はとても眩しかった。

まだ街が起きる前、白い息を眺めながら、正気を保とうとした。

顔も整えなくなったのに、日向のベンチに座ると、気持ちが落ち着いた。

よちよち歩きの赤ちゃんと若いお母さんが通り過ぎた時、何故か赤ちゃんは私に近寄ってきた。

すみません、と謝られた。

私は嬉しかった。笑いながら、見つめていた。

この小さな存在が、今こうして歩けるのは、このお母さんの妊娠からの頑張りと、産科医療があったからだ。

この幸せそうなお母さんにも、かつて失った命があるかもしれない。

この朝から散歩しているけれど、本当は寝ていたかったかもしれない。

そんなことは、誰にもわからないけれど、私には赤ちゃんもお母さんも光輝いて見えた。

命を繋ぐ産科医療の大変さを、私は手術し入院することで初めて知った。知ったといってもほんのわずかでしかないが。

眠らずに、私の命を助けてくれたI先生達は、今も自分の命ギリギリまで頑張ってくれている。

新しい命のためだ。

同じ産科医療でも、私に、

お前なんてこの産院にいる履歴はないとか、お腹が痛い?便秘だろとか、明日は祝日で今は夕方だから、明後日来い!と、

虫の息で必死に助けてと言っていた私に、激しい口調で責めたてたような信じられない女もいた。

この差は何だ。

私は今でもあの女を赦さない。
あんな女が、看護師、助産師で命に関わるなんて信じられない、信じたくないが、事実だ。

人とやっと会えるようになった時、自分の経験を話さなければならなかった。それはわかっていた。

だから、取り乱さず話せるようになるまで、誰にも会いたくなかった。

事実を話した時、聞いた人は、それは酷すぎる、訴えればいいのに、と言った。

私も同じくらい怒りがあったが、それはしなかった。

あの女が、その産院のトップなら、私は訴えたかもしれない。

私があの後息子と一緒に死んだのなら、死んでも死にきれなかったと思う。あの女にとりついてやりたいくらい頭に来たのだから。

だけど、あの産院の院長は、私に謝りはしなかったが、長い手術を待つ夫のそばで気持ちを支えてくれたのを聞いた。

悪かったと思わなければ、私が乗る救急車に一緒に乗りはしなかったろうと思った。

産院のトップはあの女とは違うとわかったから、私が訴えることで、その産院にダメージを与えることはしたくなかった。

私の住む地域には頼りになる産科はそこしかないから。この地域に住む女性達が一番頼りにしている産院だからだ。

ここがなくなったら困るのだ。

命を繋ぐ、産科医療。

余りの大変さとその「重さ」に、目指す人も減っていると聞く。

悲しい現実だ。

産むための場所が減る、そのことを私は望まない。

ただ、あの女だけは辞めさせたと信じたい。二度と医療に関わるな。それだけは言っておきたい。

妊娠出産、それに関わる産科医療の人たちは、今、正に命がけで働いてくれている。

彼ら彼女らがいてくれるおかげで、命は繋がっている。尊敬している。

これからも、産科医療が良い方向に存続していくことを、私は心から願っている。



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