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私はね、子育ての過干渉については、性格が生真面目だからなると思っているよ。そして、その親の親の育て方がダイレクトに反映されるのが育児だと思う。

子育てして思うのはやっぱり何かしら自分の親から受けた子供時代当たり前だったことを、自分の娘に要求しがちなんだということ。自分は我慢して育ったから、娘にもそれを当たり前として要求する、それって至って自然なことだと思う。

そして更に私の親もそういう育ち方をしてきたってこと。要するに先祖代々の遺伝みたいな、そういうものはあると思う。

あと今は特に日本という国は子供やその親への風当たりが激しい。きちんとしているか、していないか、子育てしていない人たちまでジャッジしてネットで共有できる。

なんていうか、周りを気にしての育児になるよね。それが、現代で子育てしている人たちの難しいところなんではないかと思う。

皆が皆、親にも子にも寛容であれば良いのだけど、なかなかそうもいかない。

保育園保育所幼稚園も騒音として感じられる時代で、親も周囲を気にしてつい過干渉になりがちになる。私もそうだ。つい、やれ順番がどうとか、子供がたくさんいる場所でも親が皆見守っている場所では特に失礼があってはならないと、常に気を張っている。

それがこの間裏目に出てしまって、娘が委縮しているのが私にもわかった。

このままでは娘は自由に遊べなくなる。自分の意志では動けなくなると思って、そこからはパタッとやめてみた。過干渉という言葉が頭に浮かんだからだ。

今までだって、娘が子供同士の遊びを始めた場合は極力見守る方針でいたのだけど、親もたくさんいて、子供もたくさんいる遊び場で、その時は娘が順番を守れていなかったために、つい声をかけてしまっていた。それ自体は悪いことではないと思うのだが、子供が団子のようになっている状態で、娘だけきつく注意するのもおかしかったのかと、娘が私に注意されたことにごめんなさいと泣き出してしまって思った。親がたくさんいても、子供がたくさんいる場所では特に今までより、見守る方針にしよう、そう思った。

もちろん、その都度、けがにつながることや順番やマナーを教えることは大事だと思っている。だって、幼児にその場で教えなければ、後からこうこうこうだったよあの時、なんて後から話しても、文句を言われたと思っただけで、身にはならないから。

ただ、子供には子供の空気みたいなものがあって、それを親の指示で止めてしまうのはやっぱり良くないんだと感じた。

そして注意する時は、伝えたらそれ以上引きずらないこと、これが大事だよね。順番が守れていなかったよ、ごめんなさい、はい、今の話終わり!みたいな。

でも、引きずらないって場合によっては結構難しいし、親がたくさんいる場所ではさじ加減が難しい。あんまり口うるさくても、口うるさい親だなと思われるし、ぶつかっても押しても謝らないようだとなんて失礼な親なんだろうと思われるし、って真面目な親ならいつだってそんなことを考えながらいるんじゃないだろうか。

びくびくしすぎかな?だけど、子供が自分自身の力で気付けるようになるべく親は見守って、というのが正しいあり方なら、もっと言えば、親のほうも自分で気付かないと本当には気付かないのだ、と私は思う。

それは自分が育てられた経緯や気質が染みついて関係しており、頭では子育ての正しい情報で溢れているのだが、結局本当に自分がモノにできるのはそう簡単なことではないからだ。

だから、子供の気付きと同じで、親も本当に気付くのには時間がかかっても良いと思うのだ。

これは自分を擁護するために書いているようなものだけれど、一生懸命、なんとか自分が嫌だった子育てになるまいと踏ん張れば踏ん張るほど、意外と難しくて首を絞めてしまいがちだから、悩んでいるっていうだけでもそれは良いことで、悩まないことが悪いとも言わないが、悩んで育児している人は頑張っているから悩むんだってことを、自分を頑張っているって褒めてやってほしい。自分で自分を褒めるの。こんなに頑張って育児しているからだ、って。本当に十分頑張っているんだから。

私も自分で気付かないと本当には気付けない。過干渉もそう。気付けるチャンスがあればいつだってその時が変わるきっかけで良いと思う。

私も今回のことを一つの気付きのきっかけにして、すぐにはその面で完璧は無理だけど、反省して反省しての積み重ねで育児をしていけばいい。子供だってそうだよね。娘も同じだ、いきなりは全部すぐにって無理なんだよね、反省して反省して自分で気付いて反省して、の積み重ね。それを親も許して許して許しながら愛していければ、きっとそれで大丈夫。

私も正しい育児ってなんだろうって常に考えているし、自分の日頃の態度や行いや言葉がけの積み重ね、それに自分が子供時代嫌だったことを娘には絶対にしないと決めて頑張っているから、それは人それぞれにあることであって、そこに意見の違いや、いろいろな子育て論や悩みがあって当然だと思う。

悩む時、子供のことを考えているから悩むのであって、一番危険なのは本心から子供なんてどうでもいいって思い続けることではないかと思う。そうなったら、おそらく悩みをネット検索したり、本で調べたりもしなくなるのではないかと思うからだ。

私も過去たくさんネットで育児の悩みを検索してきたし、今だって悩みにぶち当たればやっぱり検索する。そこにはいろんなことが書いてあって、どう考えても極端なことが書いてあったり、批判だったり、容認だったり、いろいろだ。

だけど、悩んでいること自体は子供のことを思っているから、こういうことってどうなんだろう?とか、このままで良いのか?と思ったりするわけで、それ自体悪いことというより、むしろ頑張っているから、よく考えているからだと思いたい。

いつだって、自分が意識して変わろうと思えば、それをきっかけに少しずつ変わっていける。誰だっていきなりじゃない。誰だっていきなりプロ野球選手にはなれないように。たかが育児されど育児。子育てって深い。そんなに簡単じゃない。

だけど大丈夫。悩んでいる人は皆変われるチャンスがあって、皆頑張っている!自分で自分を褒めてあげよう!少しずつでいいのだ!

そして、やっぱり子供を笑わせること。くすぐり遊びでもいい、お互い気分の良い時にはたくさん笑って、親子の緊張をほぐしておくこと。そうすれば多少のマイナスはすぐに挽回できると思っている。いつもじゃなくていい。できる時でいい。

子育てに悩んでしまったら笑いを意識してみることを、過干渉気味のへたっぴ育児の私からおすすめできることとして書いておきます。