少し前になるが、東洋経済オンラインのミセス・パンプキンさんが書かれた、『「絶歌」元少年Aの犯罪、原因は母親にあった?浮き彫りになる両親の手記との違い』を読ませていただき、大変考えさせられたし、心に残った。
私は今なお、世間を騒がせて自己主張を重ねている元少年Aのことを腹立たしく思っていた。
恐らく何らかの障害があることは想像できるが、それにしても、彼の犯罪は許されるものでないし、現在書籍やインターネットを通じて情報発信していることにも怒りを感じていた。
これで良いのか日本という国は、とまで思う。
犯罪をした者が得をする世の中なんて間違っている。
何をどうしたら彼のような事件を起こすような人格ができあがるのか?彼の育てられ方はどうだったのか、この記事から少し垣間見ることができた。
引用元:東洋経済オンライン 「絶歌」元少年Aの犯罪、原因は母親にあった?浮き彫りになる両親の手記との違い
https://toyokeizai.net/articles/-/74947?display=b
これを読んで、反面教師にするべきだと思った。
私は育児について度々自問してきていたが、読んだことをきっかけに、もっと娘との繋がり私の子育て、改めて考え直そう、そう思った。
究極は、子供にとって安全基地であることなんだ。愛情をかけること。自分本位の愛情はただの押し付けであること。わかっていたはずのことなのに、もう一度心に刻もう、そう思った。
面倒なことは見なかったことにして、流し続けたりしてはいけないし、子供の変化を見逃していかないためのアンテナは常に持っておくこと。
愛情っていうのは何でも許すことではないこと。人として間違っているなら、気付いた時にはそれを教えていくのが親の役目だということ。
教えていくためには、きちんと愛情が子供に伝わっていることが必要なこと。
この両親は自分たちがしてきた育児が普通であり、それが特別厳しいしつけ、厳しい子育てだとは感じていないみたいだ。それは誰しも自分基準なので、子供の目線でもう一度考えてみなければいけないと思った。
自分の子供時代の辛かった気持ちも思い出した。私も母の愛情に飢えていたことを。だけど、彼の気持ちには全く寄り添いたくない。同情などできない。どんな理由があっても。
私は今、子育てをしていて4年経ったわけだが、娘が愛情を愛情と受け取ってくれているのか今まで以上に気にしていき、娘の安全基地になる。そのための努力を、今までよりもっと意識しながら努めるべきだと思った。自分への戒めとして記事に残しておく。