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子供からなんでなんで?って聞かれて、

全部答えなきゃ!応えなきゃ!大人なんだから教えないと!という思いは、捨てて良いんじゃないかと思う。

そう考えていたら思ったんだ。

親って完璧じゃなくていいんだよなって私は思う。

自分が子供の頃、どんな親に育てられたか。

それにより、こうして欲しかったと、自分の心の中にあること。

自分が親になっても未だに引きずっていること。

もっと抱き締めて欲しかった。褒めて欲しかった。大好きだよっていうのを心から感じたかった。もっと私に笑いかけて欲しかった。話して欲しかった。

そんな風に考えることがある。

反面教師にしようとずっと思ってきた。

親だって完璧じゃなくていい、大人は子供より上でなければいけないなんてない。

色んな人がいて良いけれど、完璧じゃない自分を責めなくて良い。

努力することは大事だ。

だけど、子供のままの心で、同じように「なんでだろう?」って子供に語りかけていいんだ。

正確な答えなんかなくてもいいんだ。

空の色はなんで青いんだろう?この葉っぱはなんで緑なんだろう?あなたは何故そんなことを言うんだろう?

ただ、純粋に。

もしかしたら親の私にない答えをくれるのは、子供かもしれない。

何か、話してくれるのを待つ。

話したいから、なんで?って聞く。

どんなことを思っているか知りたいから、なんで?って聞く。

その会話だけで立派な愛情だと思う。

どんな答えだっていい。親だって知らないことがたくさんでもいい。子供と同じ目線で話してもいいって思った。

話をする。

それだけで子供は嬉しくて楽しい。大好きってことなんだよね。

私はあの頃の子供の気持ちのままで、娘と話すことがある。

良いか悪いかわからない。

だけど、娘が私の疑問に娘なりの答えを考えて教えてくれる時、そのこと自体が幸せだと感じるのです。

きっと娘も知りたい気持ちと私と話せる嬉しさが、あの「なんで?」にこもっていると思うのです。

親は立派じゃなくていい。

自分の不甲斐なさも無様さも娘がいることでたくさん気付かされたけど、それを娘に見せることだって今は悪くないって思える。

悪かったと思った時は謝ればいい。

一緒に考えるって素敵なことだよ。

親にだって感情があって、悩みがあって、だけど誰より大好きだって胸を張って言えるから。

たくさん話をして、たくさん笑って、たくさん抱き締めて、それがあれば大丈夫な気がしている。