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年長になっての5歳娘(軽度発達障害 自閉症スペクトラム)の様子。

緊張感もまだあるみたいだ。積極的なようでいて繊細。娘なりのストレスがあるのだろうなと感じて過ごしている。

まだ始まったばかりでの個人面談では特に担任の先生より特別注意されることはなく、マイペースでのんびりしているけれど集団生活では問題もないとのことだった。

しかし、やっぱり経度でも発達障害は発達障害。

園から帰ってくると、度々今日先生にこうこうで注意されたというようなことを話すことが増えた。

娘の発達障害を幼稚園の先生へカミングアウト、経緯と気持ち。親として私が変わろう。

最初こそ、次から気をつけようね、と言うんだけど、二回目は別のことで、三回目はまた初回と同じことで注意されている状態。

なんで同じことで何回も注意されるのかとイライラする自分。叱っている自分。

先生にも様子を聞いて謝る自分。

そして繰り返す娘。また再度叱る自分。

この繰り返しはなんの意味があるのだろうとふと思った。

皆と同じようにできない、たかがお片付けを黙ってするということだけなのに。

ついおしゃべりしてしまったり、フラフラしてマイワールドにいたり。

そして毎度、先生にも怒られ、家でも私に叱られ、気をつけると誓うも、また同じことをしてしまう、、。

娘の発達障害のせいなんだけど、もちろん注意も叱ることも必要だけど、いちいち先生にも申し訳なく思うことの繰り返し、不毛だと思った。

娘にも負担がかかりすぎている。自分はなんでこんなこともできなくて毎回先生にも家でも叱られてしまうんだろうと思うだろう。

でも、私はお片付けはしなくていいよなんて言えない。

先生の言うことをしっかり守ろうね、次また同じ注意をされないように頑張ろうねとしか言えない。

ただ結局私も娘ができないことへの焦りでストレスが溜まる一方。何度もすみませんと言うのが続くのは不甲斐なく精神的に辛い

辛いから娘がまた注意されたことを聞く度に凹んでしまう日々

発達検査を受ける勇気、発達障害を受け入れるその葛藤、特性の理解、積み重なる日々。

でも娘は娘だ。

診断名が出て、告知されたのに変われなかったのは私だ。

娘が急に変われないなら、変わるべきなのは私だ。

悩みまくってきた私も少しずつ楽になりたい、なってもいいはずだと思った。

軽度だからできれば言わなくてもいいなら言わないで過ごしてみたかったのはただの私の希望だった。

その私の希望は娘にとっては希望でもなんでもない。ただの負担だった。

何度も注意されていることを知って、もうごまかせないしこれ以上は娘にも私にも、何も知らない先生のためにもならないと思った。

私は勇気をもって担任の先生に話しに言った。朝の何気ない時間、他の保護者がいない時を狙って。

個人面談の時に、もし大丈夫そうなら言わなくてもいいのかなと、勇気が出ずに話せなかったことをお詫びして。

娘に発達障害があって、先生が今娘について?と思っているところは全てその特性によるものだとお伝えした。

先生はそうだったんですか、とびっくりしていた。

そして、話してくださってありがとうございます、と親身になって話を聞いてくださった。

診断名、療育にも今年度から行き始めたこともお伝えして、個性の範囲内なのか微妙なところとも思うけれどと話したし、先生も共感してくださりながら。

診断名を聞いたことにより、先生としての対応も変わること、本人もできないのに叱られることはかわいそうということもわかってくださった。

短い時間だったけど、味方になってくださった感じがして、理解してくださったことが、わかろうとしてくださったことが嬉しくて有難かった。

これまでずっと言ったほうがいいのかどうか迷ってきたけど、伝えて良かったなと心から思った。

完全にではないけれど、今までに比べたらずっとずっと肩の荷が下りた感じがした。

色々な先生がいるだろうけれど、話すことでこんなにスッキリとした気持ちになれるものなんだな、と。

一番仲の良い友達には娘のことを既にカミングアウトしていて、知った上でも仲良くしてもらっているので本当に色々周りに恵まれて感謝している。

人からぱっと見てわかるような感じの発達障害じゃないし、言わなくてもいいなら言わないでおこうとなんとなく考えていた。

でも問題が出てきたら臨機応変に、とは思っていたことだった。

私にとってはここいらが潮時だったのだろう。

それで新しい安心を手に入れることができた。

わざわざクラスの皆の前で言うことはしないとは思うけれど、担任の先生にお伝えしたことは私のストレスを減らすことにもなり、それが何より娘のためにもなったと思う。

この「先生へのカミングアウト」は私の中での大きな変化だった。

もっと身軽になりたい、なってもいいんだと自然と思えてきたこと。

軽度発達障害の親は見えないところで気を遣ったり謝ったりと抱え込めばパンクしてしまうようなストレスがかかっていると思うけれど、子供に支障がいっている、全てがうまくいっていないと感じる時は勇気を出してみるチャンスなのかもしれないと思った。

誰かに子供の発達障害をカミングアウトすることはとても勇気のいることだと思う。

その時が自分に自然に来て良かったなと思った。

娘に要求するばかりじゃなく、私も娘の親としてこれからどんどん変わっていこう、そう思っている。