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先日小学校の授業参観日があったので行った。

娘の学年は1学年3クラス。

入学式の時に既にちょっとこのクラス大丈夫かな?ということがあったのだけど、案の定だった。

娘の入ったクラスには発達障害と思われる子が他のクラスより多い。他のクラスの集中力と全然違うのが通り過ぎただけでわかるくらい。

多分まとめられているんだと思う。

私は入学前に小学校に就学支援シートを提出して副校長先生とお話しているので、そのまとめの中に入れてもらったんだろうなとなんとなく感じた。

ただ、娘は基本的にルールを守るタイプなので、ほとんど問題になっていないのだけど、参観日に行ってびっくりしたのは、補助の先生がお一人で複数の子の面倒を見ていたこと。

授業についていけないかやる気がなくて机を蹴ったり、中のプリントをぐしゃぐしゃにする子、途中で伏せて寝てしまう子、クラスから飛び出して廊下にいて席につけない子。

姿勢が悪くてやじなんかを飛ばすような子でも、机にいるだけでまだましに見えてしまうクラスだった。

少し娘からは聞いていたけど、こんな状態だとは。

娘にとっては小学校の最初のクラスがこれなので、これが娘にとっての普通の学級の状態である。私が思うほどおかしいとは思っていないような気がする。

年長の療育に行っていて良かったと思うのは、小学校に向けて予習のように教えていただけたこと。参観して手を挙げたり頑張っている娘を見られてホッとした自分がいた。

気になるのはその問題行動の子供達。

補助の先生は年配の先生なのだけど、もう目が回りそうな忙しさ。

そして、やらせよう、授業を受けさせようという気持ちはあるのだけど、その子達と信頼関係は築けていない状態。

さっきまで授業を受けていなかった子が、次の授業では結構やる気になって頑張っていても、別の子が立ち歩くのでその子を褒めてやることができない。

結果、悪い循環になっているのではないかということ。

しかも褒めて伸ばすことがおそらく担任の先生は静か過ぎてできないタイプなんだな。人によってやり方は違うと思うし、もちろんできて当たり前で、できない部分はどうにもならないと思って淡々と過ごしているのかもしれないけど、もう少しの何かが積み重なれば、彼らももうちょっと変わるのかもなという気持ちがして歯がゆかった。

でも学校を責める気にはなれない。

かわいそうなのはその子達だ。

あれじゃ全く授業を受けている意味がない。1年生でこんな状態だとおそらく高学年では全くついていけないし、指摘し排除してくる子も出てくるだろう。

勉強にもならず、友達にも嫌がられ、小学校に行きたいと思えるだろうか。

その子らの中の親御さんをひとり見たけれど、なんとかさせたいのにどうにもならない苛立ちと疲れが見て取れた。

お母さんがそばにいても荒れてしまう。いないと見ていないのでもっと荒れていた。

それを見つめている私のことを途中で気がつきものすごい顔で睨んできた。ぼくはみせものじゃないんだ、そんな気持ちだろうか。

かわいそうだと思った。

彼にとって普通級にいることが本当にメリットになるのだろうか。

もう障害と知っているのならば変化はあるのかもしれないが、そうでない場合、今の状態が悪化して更に時間がかかるだろう。お母さんの気持ちは荒れるだろう。

その方を見て、家庭がうまくいっていないことを感じた。おそらく父親も激しい人物なんではないかなと。どこに向いてもストレス、家庭と子供のことで苦しんでいるようなそんな感じがした。勝手な想像だけど、苦しんでいるのは間違いないと感じた。

かと言って私にはどうにもできない。どうにもしてあげられない。

子供もその方の人生も。

クラスから出てきて授業に参加しない子が別に廊下にいて、補助の先生が中の子に教えたりする間、ひとりだったので、こそっと話しかけに行った。

席につかないの?

「うん」

音楽嫌いなの?

「うん」

そうなんだ、嫌いなんだね、じゃあ何が好きなの?

一瞬質問に戸惑って私をチラッと見る「、、せいかつ」

生活が好きなんだ、でもさっき算数の時に手を挙げていたね、見ていたよ、すごいじゃない

「、、え、、うん」

なんて言っていたところに補助の先生がすみません、、って言いながら来て、その子にまたひたすら「ほら席につきなさい、お母さんを待ってるの?まだ来てないの、先生も心配しているから席につきなさい」の繰り返しだった。

少し話せて良かったのはその子に好きな授業があったこと。会話にならないわけじゃないんだ。

でも先生方は本当に大変そうだったな。6,7歳なんて本当にパワフルだし。

その子達のペースに合わせていては授業は遅れるばかりだろう。

どうにかならないのか、そんな風に思った。

発達に理解のある良い先生ならまだ彼らをうまく導けると思うんだけどな。

まだまだ伸び盛り、今ならまだ間に合うところもあるのになと感じた。

私は娘について悩んだだけに、そういう子供のことを心の底から突き放して見ることができない。

どうにかならないのかと強く思ったし、どうにかしてあげたくてもできない自分が歯がゆいばかりだった。