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そうだ、昔の記事読んで思い出した。

娘の今の人格をつくったのは私だ。

人の物を奪い、待てといわれても待てず、アドバイスをしても聞かず、人と競い、負ければ大泣き、順番も守れなかった。

人から取り上げたのに、違うものに惹かれれば、奪ったものも放り投げて、また別の人から奪っていた。

今、娘は変わった。

感情が高ぶりやすいところはあるが、正義感のある子に育った。

これまで迷惑をかけた人に頭を下げてきたのは私だ。夫ではない。

夫が付きっ切りであの時代を育てたらどうだっただろう。自分がされてきたような暴力的な育児になったかもしれないし、異性なのもあり、優しくできたかもしれない。

お互い様だからそんなのいいんじゃない?って、気にする必要ないと言われたこともあったけど、それが幼い頃からずっとだったら、今の娘はどうなっていただっただろう。どんな性格だっただろう。

あの子だって迷惑かける時があるんだから、私も迷惑かけてもいい。皆やっていること。
お互い様だから、そんなに気にしないでいい。そんなに謝らなくていい。

それが彼女の普通になったなら、今どうなっていたかなと思った。

気にしないことも大事であるけど、気にしないといけない部分を気にしなくなり、お互い様で片付けることが、私の感覚では非常に難しい。

あまりにも不条理だと思った時、心を感じなかった時、、関わるのが嫌になるから、自分で自分を守るしかない。その結果、批判されたりすることもあったりするのかもしれない。

人間は難しい。

最低限の礼儀がなっていないと、心を感じないと話にもならないというか、なれないのかもしれないなと思う。ここは難しい。堅苦しいのも苦手だし、あまりに無礼なのも好みでない。

気にしすぎたら生きていけないけど、一体何が
正しかったのかと思う。私の感覚で生きるのはかなり苦しい世の中だとしたら、生き辛いのも当たり前だ。

人間の基礎になる部分の子育ての難しさを痛感すると同時に、今娘とのほほんとした時間を過ごせることに幸せを感じる。

時間は戻らないけど、ひとまず昔の頑張ってもがいていた自分にお疲れ様が言いたくなった。