そうだ、昔の記事読んで思い出した。
娘の今の人格をつくったのは私だ。
人の物を奪い、待てといわれても待てず、アドバイスをしても聞かず、人と競い、負ければ大泣き、順番も守れなかった。
人から取り上げたのに、違うものに惹かれれば、奪ったものも放り投げて、また別の人から奪っていた。
今、娘は変わった。
感情が高ぶりやすいところはあるが、正義感のある子に育った。
これまで迷惑をかけた人に頭を下げてきたのは私だ。夫ではない。
夫が付きっ切りであの時代を育てたらどうだっただろう。自分がされてきたような暴力的な育児になったかもしれないし、異性なのもあり、優しくできたかもしれない。
お互い様だからそんなのいいんじゃない?って、気にする必要ないと言われたこともあったけど、それが幼い頃からずっとだったら、今の娘はどうなっていただっただろう。どんな性格だっただろう。
あの子だって迷惑かける時があるんだから、私も迷惑かけてもいい。皆やっていること。
お互い様だから、そんなに気にしないでいい。そんなに謝らなくていい。
それが彼女の普通になったなら、今どうなっていたかなと思った。
気にしないことも大事であるけど、気にしないといけない部分を気にしなくなり、お互い様で片付けることが、私の感覚では非常に難しい。
あまりにも不条理だと思った時、心を感じなかった時、、関わるのが嫌になるから、自分で自分を守るしかない。その結果、批判されたりすることもあったりするのかもしれない。
人間は難しい。
最低限の礼儀がなっていないと、心を感じないと話にもならないというか、なれないのかもしれないなと思う。ここは難しい。堅苦しいのも苦手だし、あまりに無礼なのも好みでない。
気にしすぎたら生きていけないけど、一体何が
正しかったのかと思う。私の感覚で生きるのはかなり苦しい世の中だとしたら、生き辛いのも当たり前だ。
人間の基礎になる部分の子育ての難しさを痛感すると同時に、今娘とのほほんとした時間を過ごせることに幸せを感じる。
時間は戻らないけど、ひとまず昔の頑張ってもがいていた自分にお疲れ様が言いたくなった。
キュツ母さん(*^^*)
ホントにホントーに!お疲れ様です!!
私も何年…何十年後かに、自分自身にそう言えるように頑張っていかないと( ^_^ 😉
相変わらず振り回されっぱなしで毎晩瀕死のmako母でした☆
お互い様…一歩間違えるととっても都合よく使われちゃう言葉ですね。
あくまで自分から発する言葉であって人に求めるものではないと私は思っています。求めてしまった瞬間から、それは甘えに変わると。なんか分かるんですよね~、あー今このひとは『お互い様』を待ってるんだなぁ~とか。そう感じちゃうと言ってあげたくなくなる…意地悪な私です(笑)
≫mako母さん
お疲れ様です!
毎回瀕死、、私もそんな日そんな時間がまだまだあります。昔よりはマシであるのは間違いないですが。ずっと、、とかは子供含む外部の全て断ち切らないと無理なのかもしれない。しかし女だからホルモンの関係でいつも揺らいでいる、断ち切っても人間で女である限りひとりでも毎度瀕死かもしれない、、とか想像しながら、書いている場合でなく笑、コメント欄おかしくてすみません。なんで突然こんなことに。なおるのか、な。
お互い様は難しい言葉ですよね。私、人様に言われるのは、ああそうかと思えるし、自分もそんな時があるし知らず迷惑かもと考えてしまうので、全然構わないのですが、娘がそれをお友達に正当化していくのはちょっと、ってやっぱり思ってしまいます。ただでさえ、気が強いので、気をつけないとかなりの自己中に育つと思うので、、。
自分が原因なのにその言葉を連発されると、心を見抜いた時、その後は避けてしまうかもなと私も思います。自己弁護のための利用多用をするとあまり良い言葉だと思えなくなるかなと。自分を普段から責めがちな人にはたまにはそう思うことで救われたりもするし、私が厳しいから、夫のように少しゆるさというかそれが娘の心にはバランスが良いかもしれないし、とか、なかなか難しいと考えさせられます。
ああ、長くなりました。
今日も頑張っていきましょうね!いつも明るさのある優しいコメントありがとうございます!